天龍と長州は良くも悪くも似た者同士である
長州が動くとプロレス界に激震が走り
天龍が動くとプロレス界が騒ぐ・・・

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天龍源一郎ミスタープロレスと呼ばれた男

 

角界からプロレスラーに転身した力士は数多いが

成功したレスラーは少ない

横綱で鳴り物入りで、プロレスラーに参戦した

輪島、北尾、曙なども例外ではない

力士は確かに強いがまたプロレスはそれとは違ったものがあるのだろう

横綱輪島などは、西前頭筆頭までしか昇進していないプロレスラー先輩

 

天龍源一郎にボコボコにされ引退している・・・・・・イメージ

その天龍もオカダ・カズチカとの引退試合でボコボコにされ引退した。

天龍の生きざまと言いたいが、そんな天龍は見たくないと思う方も多いはず

 

その天龍だが、ジャイアント馬場が創設した全日本プロレスを崩壊一歩手前まで

追い込む騒動を起こすわけだが・・

天龍源一郎全日本プロレス入団

 

1976年相撲界に嫌気がさした天龍は

ジャイアント馬場さんを紹介され全日本に入団する

当時、全日本とも親交の深い

ザ・ファンクスのもとで修業を行い

着々と、プロレスラーの道を歩む

当時の全日本プロレスは、ジャイアント馬場とジャンボ鶴田の2枚看板だ

鶴田は、アマレスを基礎として、馬場の後継者として順調に育つ

天龍は相撲とのギャップでしばらく結果は出ないままだが

元々地力のある格闘家

メキメキと頭角を現す

見るからに鶴田とは違い、技も不器用、受け身も不器用に見える天龍

全く正反対の、鶴田・天龍だが

天龍は、全日本第3の男と呼ばれるようになる

天龍が仕掛けたのは、当時人の技を使うのは、タブーそれをあえてやったのは天龍だ

誰の技を真似したかというと

ライバル団体総帥、アントニオ猪木の決め技、延髄斬りや卍固めと言うから驚きだ

全日本では異彩を放つ選手として注目を浴びる事になる

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ダブルエース時代

1982年頃になると、天龍は鶴田のライバルと見られる事も多くなり

時期エース候補

鶴田とWエースと呼ばれる事となる

そのころから、黒のタイツ、黒と黄色のシューズに変えて生涯の天龍カラーとなる

鶴龍時代

ジャイアント馬場に陰りが見えてきたとき

ジャンボ鶴田と天龍源一郎の合体が始まる

当時の全日本は、スタン・ハンセン・ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビ

誰も止める事が出来ない

世界最強タッグリーグで鶴龍コンビ結成をした

しかし、残念ながら決勝でミラクルパワーコンビに敗戦ながら

日本人チーム1位これを機にジャイアント馬場は第一線から退く

シングルではUN王者も獲得した天龍だが

天龍は、鶴田より格下と言う扱いは変わりなかった

長州力来航

新日本で人気を誇った長州力が、ジャパンプロレスを旗揚げして

全日本に乗り込んできた

大人気だった藤波辰爾との抗争に一区切りつけた

長州力

藤波辰爾との戦いにマンネリ気味の長州は新しい主戦場を選んだ節もある

長州力は日本人との対決では光るものがあるが、外国人相手では制裁を欠いていた

当時の、新日本はハルク・ホーガンが猪木を圧巻していた

パワーファイターの長州力は外国人相手では分が悪い

しかし、人気の長州力や革命軍団が抜けた新日本は衰退するかに見えた

そこで出てきたのが

闘魂三銃士の武藤敬司・橋本信也・蝶野正洋

この3人がその後新日本の柱になり人気を盛り返す事になる

 

移籍した長州は水を得た魚のように、全日本で暴れまくる

全日本プロレスは、日本人対決をあまりしない団体

しかしそこは、ファンが食いつき、ジャイアント馬場も乗っかり

一気にテレビがゴールデン枠となり

人気に火が付いた

天龍は今まで出さなかった感情をもろに出し

長州に噛みついた

天龍も外人ではなく日本人と対戦する事でまた光る選手として

ファンも虜になった


出展元全日本プロレス

 

長州力新日本復帰

長州は病気を理由に全日本欠場

師匠のマサ斎藤は、新日本復帰を名言

長州力も新日本復帰は時間の問題とされていた

予想通り長州は新日本復帰

残されたメンバーは全日本残留で、ジャパンプロレスは

事実上解散となる

 

長州がいなくなった、全日本天龍は精彩を欠いていたが

新たに、阿修羅原と、龍原砲を結成し天龍革命をおこし

そこに賛同した

冬木弘道・・・・・のちに冬木軍「邪道・外道と結成」

川田利明・・・・・のち全日本四天王

小川良成・・・・・のち三沢光晴パートナー ノアで・ジュニアウェイトの選手として初めてGHCヘビー級王者

天龍同盟で

鶴田に噛みつく

天龍は鶴田との抗争で、3冠統一王者にもなり

年間ベストバウトも受賞している

この時が天龍が全日本で一番光っていた時代である

天龍同盟は、地方でも手を抜かず試合をしてた事から全国的な人気になった天龍

天龍メガネスーパーと合体

 

天龍は全日本を退社する事を決意していた

メガネスーパーがプロレス界進出を決めて新団体SWSを旗揚げする事になり

天龍に白羽の矢が立った。

天龍は1人でSWSに行く予定だったが

メガネスーパーは豊富な資金を使い

大量に、全日本プロレスから選手を引き抜いた

新日本も引き抜かれたが、全日本の比ではない

天龍源一郎が全日本プロレス社長のジャイアント馬場と会談。辞意を了承され全日本を退団

SWSプロレス激闘史―企業プロレスの先駆けSWS、2年2ケ月の闘いの軌跡 

 

SNSも内部崩壊で2年余りで解散天龍率いるレボリューションがWARで活動

天龍が抜けた全日本は悲惨な選手層だった

 

ジャンボ鶴田と若手達と言う構図

これがとんでもない奇跡をおこす

三沢光晴がタイガーマスクの仮面を脱ぎ、緑の戦士に

川田利明がデンジャラスK

田上明が鶴田のパートナー

小橋建太の剛腕

秋山準の入団

 

ジャンボ鶴田はこの若手を徹底的にいたぶり

全日本四天王と言われるまでにした。

 

天龍は、その後

日本でも数多くの夢の対決を実現しており

ジャイアント馬場

アントニオ猪木からピンフォールをとった唯一の日本人である

 

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