王道全日本プロレスジャイアント馬場

ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、全日本プロレス&新日本プロレスでしのぎを削ってきた。
特に、世代交代が訪れる時期
ジャイアント馬場は、静かに弟子たちに時代を譲った。

ジャイアント馬場が提唱した王道プロレスキャッチフレーズは、明るく・楽しく・激しいプロレス。
その名の通り、全日本プロレスは、清く、楽しいプロレス、激しいプロレスを展開。
ジャイアント馬場の全日本プロレスは受け身と言われながら、外国人選手にジャイアント馬場なら信頼できると絶大な信頼関係を築く事に成功。

全日本プロレスから新日本プロレスへ移籍した外国人が全日本プロレスへ出戻った事もあった。
ジャイアント馬場の厳格な経営方針であった。

楽しいプロレスとは、ジャイアント馬場を交えた、ラッシャー木村・永源遥・渕正信・鶴見五郎とのプロレスの世界観はプロレスの奥深さを感じる場面でもあった。
ジャイアント馬場の作り上げたプロレス。

ラッシャー木村は、馬場との対決初期はババと呼び対決を迫った。
国際プロレスや新日本プロレスでアントニオ猪木に対戦を迫っていたヒールのラッシャー木村で全日本プロレへ乗り込んだ。
しかし次第にジャイアント馬場の空気に触れるラッシャー木村は方向を変えていく。
ジャイアント馬場とタッグを結成。
ジャイアント馬場をアニキと呼びだした。

このラッシャー木村のマイクパフォーマンスが面白く、ファンに支持を得て爆笑をさらっていた。
まさに愛すべき存在になった。ラッシャー木村。
ラッシャー木村マイクパフォーマンス出典元YouTube


激しいプロレス
ジャンボ鶴田・天龍源一郎・スタン・ハンセンの前に展開される激しいプロレス。

ジャンボ鶴田
画像出典 Twitterから全日本プロレス

その戦いは、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太に引き継がれ
1990年代最高のプロレスを作り上げた。

その全日本プロレスで巻き起こる戦いは、新日本プロレスをも圧倒していた。
あのアントニオ猪木の作った新日本プロレスより激しいプロレスを展開したと言っても過言ではない。

この三位一体のプロレスが全日本プロレス
ジャイアント馬場が作り上げた王道である。

過激な技の応酬全日本四天王プロレス受け身の天才達の伝説。