新日本プロレス闘魂三銃士

闘魂三銃士は、言わずと知れた
武藤敬司、蝶野正洋、橋本信也の事を言う。
長州力や藤波辰爾に追随すべき存在として命名された

同期入門の3人は、プロレススタイルは違えども
3人とも素晴らしいレスラーに成長して
プロレスファンを沸かせた。

武藤敬司は、スピード、テクニック、センスなどを
持ち合わせた天才的なレスラー
ラウンディングボディプレス
ドラゴンスクリューから4の字固め

シャイニングウィザードなどの決め技を時代と共に変化させた。

武藤は華麗なレスリングスタイル、魅せると言う点では
3人のナンバーワンだろう。

UWFインターの対抗戦では
高田を破り、プロレス人気を回復させた。
当時は、新日本から分裂しできたUWF最強論を疑わないファンも多く、
武藤敬司が負ける予想をしていた人も多かった。

予想を覆し勝利で幕を閉じた対抗戦。

橋本は、蹴りを主体にDDTなどの技でファンを魅了
破壊王と呼ばれた。

IWGPの防衛記録を作った

フライングニールキック

DDT

袈裟斬りチョップ

三角絞め

重量感のある技は見るものを納得させた

 

新日本退団後は小川直也と共闘し

三沢のノアと夢の対戦も実現した

3人の中では地味なレスリングスタイルの蝶野

ケンカキック

STF

バタフライロック

などの決め技

テクニシャンの蝶野は一見地味なレスラーと思わせたが

とんでもないカリスマ性を発揮

黒のカリスマと呼ばれ

nWoジャパンでプロレス界に旋風を起こし

武藤敬司をのみ込みnWOは完成した。

G1クライマックス33 辻陽太vs成田連 海野翔 初勝利は?令和闘魂三銃士

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闘魂三銃士お披露目

3人が闘魂三銃士として売り出された背景は

長州力の新日本離脱が主な背景で

長州力を中心とした主力レスラーの集団離脱があり

若手を看板レスラーに成長させることが必要とされていた

プエルトリコで武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人がユニット「闘魂三銃士」を結成。

帰国後「闘魂三銃士」として藤波辰爾&木村健悟&越中詩郎組と対戦

反則負けながら、試合内容で圧倒して見せた

しかし、世代交代をするには、まだ早いと感じた

その後蝶野が、G1制覇

グレートムタとしてIWGP奪取

橋本のIWGP防衛記録更新

蝶野IWGP奪取などが続き、闘魂三銃士としての時代が確立した。

このころ、蝶野と一緒に活躍した選手には

天山広吉がいる事を考えると、天山もまた息の長い選手となる

蝶野・武藤VS橋本

WCWにてハルク・ホーガン、スコット・ホール、ケビン・ナッシュによりnWoが結成される。同年12月にWCW参戦中であった蝶野正洋が、マネージャーのサニー・オノオを裏切りnWoに加盟する。1997年に入り、蝶野は

まずスコット・ノートンと合体。nWo自主興行に参戦した後、共に狼群団として活動していたヒロ斎藤、天山広吉 と結託し、nWo JAPANとして本格的に活動を開始する。

グレートムタと合体した蝶野は勢いを増し

新日本プロレスでは橋本真也、佐々木健介らが本隊の中心としてnWo軍と抗争勃発

圧倒して見せた

時代を作ったnWoだが、蝶野と武藤の分裂により衰退化する事になる

天才武藤敬司と黒のカリスマと言われたnWOジャパン蝶野正洋黒の戦争

天才武藤敬司と黒のカリスマと言われたnWo JAPAN蝶野正洋 黒の戦争

UWFの対抗戦や、小川直也VS橋本信也

橋本退団

武藤、全日本社長就任などでバラバラになった

闘魂三銃士

またリングでの姿を見たかったが

橋本逝く

2005年(平成17年)7月11日午前8時頃、滞在先において脳幹出血で倒れ、午前10時36分、搬送先の病院で死亡が確認された。40歳没。睡眠時無呼吸症候群も遠因であったと推測されている。

とてもショックな日だった

まさかの橋本の死

この結果、闘魂三銃士は事実上無くなった

武藤、蝶野、橋本のプロレス界に残した功績は大きく

今でも伝説となる闘魂三銃士

今のプロレスにも大きな影響を与え、脈々と受け継がれている。

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