棚橋弘至対抗戦出陣

新日本プロレスV字回復の歴史を良く知る棚橋弘至。
アントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、前田日明、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、佐々木健介

その新日本プロレスの流れは盤石であった。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、対戦する事はなかったが、全日本プロレスと新日本プロレスの両団体は
互いに成長していく。

だが新日本プロレスは禁断の扉を叩いた。
UWFや小川直也小川直也参戦から、新日本プロレスは格闘技との戦いを強めた。

プロレス出身の選手は、格闘技団体で大きく負け越し。
アントニオ猪木が唱えて来た、プロレス最強神話が崩れた。

その負の遺産を払拭する為に棚橋弘至は奮闘した。
2003年中邑真輔が、K1でイグナショフに勝利から新日本プロレスの格闘技路線は終了

中邑真輔が放った一言一番スゲェのはプロレスなんだよ!ここでプロレスファンは目が覚めた。
プロレスから、離れていったファンがまたプロレスに戻る瞬間と、新しいプロレスファンが増える時期に入った。

プロレス・リングノアは、ジャイアント馬場の元プロレス道にまい進。
鎖国的と言われた全日本プロレスだが、三沢光晴達。
四天王と呼ばれた選手は、90年代最高のプロレスと呼ばれた。

全日本プロレス 全てが名勝負となる四天王プロレス

その三沢光晴が、ジャイアント馬場亡き後立ち上げたプロレス・リングノア
闘魂三銃士の消えた新日本プロレスとは明らかに差があった。

棚橋弘至が、プロレス・リングノアの対抗戦で口にした。
クオリティ。

清宮海斗や中島勝彦が、リング上ではノアが一番と言う事に疑問を投げかけた。
新日本プロレスは、国内にとどまらず、海外での戦いや、プロモーションでも群を抜いて業界ナンバー1となった。

その根本的にあるのはリングの戦いと言う。
ノアが面白い?
試合の面白さ=観客動員数と言う棚橋弘至。

2005年棚橋弘至は、プロレスリング・ノアの東京ドーム大会へ乗り込んだ。
当時のプロレスリング・ノアは業界ナンバー1

GHCヘビー級王者力皇猛に挑んだ若き棚橋弘至。
善戦した棚橋弘至だが、絶対王者と言われた小橋建太を倒した力皇猛は強かった。

観客は今日もプロレスリング・ノアが勝った。
そんな印象深い戦いであった。
時代を経てプロレス・リングノアと新日本プロレスの立場は逆転した。

棚橋弘至は、差を見せる戦いをすると宣言。
対抗戦の後に残るものは?

新日本プロレス・プロレス・リングノア 緊急記者 会見気になる内容は?対抗戦実現