方舟の天才丸藤正道3冠ヘビー級王座挑戦

 

プロレスリング・ノアの丸藤正道が、全日本プロレス

チャンピオンカーニバルで優勝

丸藤正道
画像出典元 日刊スポーツ

 

現3冠ヘビー級王座宮原健斗を決勝で

ポールシフト式エメラルドフロウジョンで勝利し

高らかに、3冠ヘビー級王座挑戦を表明した。

 

それを受けた、宮原健斗は丸藤正道に敗北

苦渋の1か月を過ごした。

外的である、丸藤正道にチャンピオンカーニバルで敗北

リベンジを誓った、3冠戦であった。

 

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3冠ヘビー級王座

3冠ヘビー級王座とは、全日本プロレスに伝統的に継続される

インターナショナルヘビー級・PWFヘビー級・UNヘビー級を統一したベルトである。

現在の、全日本プロレスの実力には疑問が残るが

歴史のある3冠ヘビー級王座である事は、間違いない

 

ジャンボ鶴田VSスタン・ハンセンが死力を尽くし

統一され現在に至る、3冠ヘビー級王座

 

その歴史は、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、スタン・ハンセンが序章を作り上げ

四天王プロレスの象徴でもあった。

 

三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太が四天王と呼ばれ激闘を繰り返し

スタン・ハンセン、スティーブウイリアムス、ベイダーなどが

3冠の歴史を飾っている。

 

 

三沢光晴達の熱き戦いを見て育った、丸藤正道

3冠ヘビー級王座の憧れがないわけではない。

あのベルトを自分の腰に巻きたい誰しもが思う

憧れのベルトであった。

 

その後三沢光晴達と共にプロレスリング・ノアに移籍

3冠ヘビー級王座の目標からプロレスリング・ノアが創設した

GHCヘビー級へとシフトを変えた丸藤正道であった。

 

GHCヘビー級を含め、数多くのベルトを獲得してきた丸藤正道

しかし3冠ヘビー級王座を欲しいと公言する事はなかった。

 

プロレスリング・ノアが1番と言い放つ丸藤正道であったが

3冠ヘビー級王座に興味がないとは思えない。

俺のナンバーワンはノアだから丸藤正道

 

時代が動いたのは、全日本プロレス秋山準社長からの

チャンピオンカーニバル参加要請であった。

 

三沢光晴達とプロレスリング・ノアを盛り上げてきた

秋山準であったが、三沢光晴死去、小橋建太引退などもあり

プロレスリング・ノアを退団する経緯に至る

 

秋山準VS丸藤正道の好カードがプロレスリング・ノアから消えた

それと同時に、プロレスリング・ノアは窮地に陥る事になる

 

秋山準は先輩であると同時に丸藤正道にとっては裏切り者と言う事にもなる

当初、秋山準VS丸藤正道が注目されていた。

 

秋山準を撃破した丸藤正道は、決勝戦に近くなるたび

全日本プロレスへの本音を出してきた。

 

プロレスリング・ノアと全日本プロレスの融合

3冠ヘビー級王座への興味

決勝戦の結果次第では、丸藤正道の3冠ヘビー級王座挑戦をにおわせた。

 

決勝戦での丸藤正道VS宮原健斗に勝利した丸藤正道

全日本プロレスへの思いの丈を語った。

3冠ヘビー級王座はジャンボ鶴田や三沢光晴が巻いていたベルト

興味がないわけはないと

 

試合後、丸藤は「最初、このマットに上がることを本当にたくさんのことがあって迷いました。オレの今回の目標は2つ。1つは秋山準を倒すこと。もう1つはチャンピオンカーニバルに優勝すること。だから、3冠には興味ないと言ってきたが、今日オレが勝利した宮原健斗は、3冠のチャンピオンらしいな。宮原健斗が、お前の大事なものをかける勇気があれば、もう1回やろう」と3冠ヘビー級王座挑戦を表明した。

 

宮原健斗も承諾し3冠ヘビー級選手権が決まった。

 

 

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3冠ヘビー級王座試合結果

 

宮原健斗にとっては、チャンピオンカーニバル敗戦後

苦渋の1カ月

全日本プロレスに改革をもたらすとき

外的、丸藤正道に優勝をさらわれた。

この1カ月は長かった。毎日、丸藤が夢に出てきた。・・・・宮原健斗

宮原健斗にとっては、丸藤正道との3冠ヘビー級戦は大きなものがある

 

メジャー団体新日本プロレスの、棚橋弘至、オカダ・カズチカにも勝利した事にある

丸藤正道、やはりメジャーの風格がある。

 

その、丸藤正道に勝利する事が、今の指針になるはずだ

試合は、壮絶な展開になった。

大歓声に包まれながら入場した2人は序盤からスピーディーな攻防を展開すると、早々に宮原が場外戦に持ち込み強烈な頭突き3連発や鉄柵を使った攻撃を敢行。丸藤もチョップや蹴りで反撃するなど荒れた幕開けになった。 中盤からは執拗なヘッドロックを仕掛けた丸藤がペースを握った。エプロンでのパイルドライバーでダメージを与えると、虎王2連発から不知火を繰り出しギリギリまで王者を追い込む。しかし最後はとどめのポールシフト式エメラルドフロウジョンから宮原が脱出。後頭部へのブラックアウトからシャットダウンスープレックスホールドへとつなげて逆転の3カウントを奪った。

 

試合後の丸藤正道は全日本プロレス「to be continue」と言って全日本プロレスを去った。

全日本プロレス改革

 

最高男・宮原健斗が全日本プロレスを新たな道に進めるためには

それそうとうな険しい道になる

 

現在プロレス界の象徴オカダ・カズチカを倒す事より難しい事であろう。

しかし、全日本プロレスには改革の歴史がある

 

天龍源一郎のレボリューション

天龍革命

 

全日本プロレスを去った長州力全日本プロレスが窮地に陥ったとき

ジャンボ鶴田を本気にさせると明言し阿修羅原と天龍革命をおこした

サムソン冬木・川田利明も参加

天龍革命は地方でも手を抜かない試合に

 

多くのファンからの支持を集め全日本プロレスを退団した

天龍源一郎は引退までミスタープロレスと呼ばれた。

 

 

 

 

三沢光晴の超世代軍

天龍源一郎がメガネスーパーの団体

SWSに移籍全日本プロレスが窮地に陥る

メガネスーパーの豊富な資金を元に既存プロレス団体から選手やスタッフの引き抜きを行い、団体を作り上げ『黒船』として当時のプロレス界に激震を引き起こした。1989年にアメリカのWCWに参戦していたグレート・ムタ(武藤敬司)とマネージャーの若松市政、さらにケンドー・ナガサキらにアプローチしていた[1]。ムタの獲得は叶わなかったものの若松は後に入団。1990年に入ると最初に新日本プロレスからの引き抜きを開始[1]、続いて4月には全日本プロレスを退団した天龍源一郎の獲得に成功する。さらに当時全日本が提示した複数年契約に難色を示したグループ(ただし、谷津嘉章のように全日本と契約期間中にも関わらずSWSへ離脱した選手もおり、契約違反をして団体を離れた選手に関して全日本プロレスは、後に法的措置を取っている)も全日本を退団しSWSに相次ぎ移籍[1]する。結果新日本、特に全日本から多くの選手を引き抜いたような形で選手が集まった。それまでのプロレス団体とは違い、選手にかなりの高給を支払っていたことでも知られており、特にトップの天龍源一郎は、当時トップクラスのプロ野球選手落合博満並みの年俸だったとも言われる。

参照元SWS – Wikipedia – ウィキペディア

 

三沢光晴はタイガー・マスクの仮面を脱ぎ捨て

全日本プロレス改革に乗り出した。

改革の頬先は、大先輩ジャンボ鶴田

天龍源一郎も三沢光晴もジャンボ鶴田を標的にした

 

やはりジャンボ鶴田は全日本プロレスの象徴であり

怪物と言われる強さを持っていた。

 

タイガー・マスクの仮面を捨てた三沢光晴

 

三沢光晴の改革は初戦のジャンボ鶴田戦で結果を出した。

ジャンボ鶴田相手にピンフォールを奪って見せた。

 

不完全な勝ち方であったが、ジャンボ鶴田に勝った事で

超世代軍に勢いを付けた

三沢光晴を圧倒的に支持するファン

 

怪物的な強さで、超世代軍をなぎ倒すジャンボ鶴田

ファンは鳥肌が立つ試合の連続に歓喜した。

 

ジャンボ鶴田が戦線から離脱すると、四天王時代が到来

全日本プロレスが全盛期を迎える事になる。

 

宮原健斗が改革を行うには、絶対的なライバルが必要となる

全日本プロレスがまた昔の活気を取り戻すには

 

全日本プロレス全体の底上げやスター選手が必要

宮原健斗は、3冠ヘビー級選手権勝利後

3冠ヘビー級のベルトが似合うのは、三沢光晴と宮原健斗と言い切った。

 

3冠ヘビー級の歴史は深く重たい。

その重圧に潰される事無く

新たな歴史を宮原健斗に作ってほしい。

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