蝶野正洋VS小橋建太・田上明

小橋建太がプロレスリング・ノア絶対王者のころ
蝶野正洋は、プロレスリング・ノアに参戦した。

三沢光晴とのシングルマッチを経て、タッグを結成した蝶野正洋
プロレスファンにとって夢のタッグ実現。

三沢光晴・蝶野正洋VS小橋建太・田上明の対戦が決まった。
四天王VS闘魂三銃士の夢の競演である。
まさに夢の競演である。

プロレス界をリードしていた
プロレスリング・ノアは蝶野正洋をノアマットに上げる事に成功した場面であった。

三沢光晴・蝶野正洋
画像出典元 プロレスリング・ノア

全日本プロレス四天王プロレス

四天王プロレスとは、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスで呼ばれた
三沢光晴・川田利明・田上明・小橋建太の事をそう呼んだ
ジャンボ鶴田との世代抗争が勃発

ジャンボ鶴田に鍛えられた4人、爆発的に強かった
怪物ジャンボ鶴田を倒すため結成された。

三沢光晴率いる超世代軍
三沢光晴・川田利明・小橋建太
ジャンボ鶴田率いる鶴田軍。

ジャンボ鶴田・田上明
三沢光晴は川田利明とタッグ結成

田上明はジャンボ鶴田とタッグを組み、プロレスの強さを身に着けて行った
小橋建太が3冠王者になると、この全日本プロレス四天王は完成した。

ジャンボ鶴田が長期欠場に入ると超世代軍は解散
三沢光晴・小橋建太VS川田利明・田上明の構図で全日本プロレスを盛り上げ
全日本プロレスを全盛期まで押し上げた。

この4人のシングルは、プロレスの進化を見る事になる。

受け身の達人四天王プロレス

新日本プロレス闘魂三銃士

アントニオ猪木が設立した新日本プロレス
異種格闘技路線
IWGP構想とプロレス界に話題を振りまいた新日本プロレス
長州力などの大量離脱で新日本プロレスが窮地に陥ったとき
海外で活躍していた、蝶野正洋・武藤敬司・橋本真也が新日本プロレスに帰国
この3人を闘魂三銃士と名付けた。

付け焼刃の闘魂三銃士は、混迷を極めた新日本プロレスに楔をうち
闘魂継承を目指す橋本真也は破壊王と呼ばれた。
グレート・ムタなどに変化し天才ぶりを発揮する武藤敬司

プロレスにの世界では収まらず、nWo JAPANブームを巻き起こした蝶野正洋。
3人がそれぞれの個性を出し新日本プロレスにムーブメントをおこした。

黒のカリスマ蝶野正洋nWoジャパン

四天王プロレスVS闘魂三銃士

ジャイアント馬場
ジャンボ鶴田・天龍源一郎から三沢光晴・川田利明
小橋建太と続く。

アントニオ猪木
藤波辰爾・長州力・前田日明から
武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也と続く世代
お互いが、ジャイアント馬場やアントニオ猪木から影響を受けた世代である。

この世代で、ようやく実現したトップ同士の戦いでもあった。
グリーンのリングに登場した蝶野正洋
対戦相手の絶対王者小橋建太も田上明も躍動し
四天王プロレスを蝶野正洋に体感させる。

蝶野正洋もケンカ・キック・STF・STOと代名詞の技を繰り出し
四天王プロレスと闘魂三銃士の試合であった。

結果は、小橋建太が剛腕ラリアットの連発から垂直落下のブレンバスターで
三沢光晴から3カウントを奪った。

試合の、見どころは必ず決着がつくという事である。
格下もなく、実力があるもの同士が戦っても
プロレスリング・ノアでは完全決着が当たり前であった。

最高のファンの前でみせた、4人のパフォーマンスは時代をリードし
プロレス界をリードしていたプロレスリング・ノアであった。

三沢光晴と橋本真也がいない今この7人が揃う事は、もうない。
現在のプロレスを作ってきた7人であったのは間違いない。

小橋建太と蝶野正洋

時代は変わり小橋建太は引退した。
小橋建太興行で蝶野正洋との対談が実現した。

共に、プロレス界をリードした両雄
全日本プロレス・プロレスリング・ノア

新日本プロレスと団体は違えども
プロレスを進化させた両雄であった。

<小橋建太興行=後楽園ホール(11日)>小橋はノアのGHCヘビー級ベルトを持参し“黒いカリスマ”蝶野正洋(54)とのトークバトル(20分1本勝負)に臨んだ。2人はそれぞれ全日本プロレスの四天王、新日本プロレスの闘魂三銃士として全盛期を誇り、2003年5月2日の新日プロ東京ドーム大会で対戦した。 当時、GHCの絶対王者だった小橋がV2戦で迎え撃った試合で、首に爆弾を抱える蝶野にハーフネルソンスープレックス6連発を放った話で盛り上がった。小橋は「あれは(セコンドの)天山(広吉)選手が悪い。タオルを投げようとしたので『出ていけ!』と言って、その怒りを蝶野さんにぶつけた」と弁明。被害者の蝶野は「ひどいよな。フラフラの俺に『大丈夫か?』と聞いてきて投げられた」と抗議。さらに「天山や中西(学)と一緒で、京都の人間は信用できない」と追及するも時間切れドローに終わった。

全日本プロレスに激震が走った、ジャンボ鶴田訃報から1ヶ月後に三沢光晴全日本プロレス退団