完成されたラリアットレインメーカー

オカダ・カズチカの決め技にレインメーカーがある。
技の名前はレインメーカーだが、ラリアットをオカダ・カズチカ改良したもの。
相手の手を握り、くるりと一回転させ自分の方を向けた勢いで放つ
オカダ・カズチカのオリジナルの技となる。

ラリアットの使い手は数多くいるが、レインメーカーの技精度は高い
威力、試合の流れに組み込まれて行く華麗な技となっている。

数多くの使い手が現在、過去といる中で
痛め技、つなぎの技、決め技で使われるラリアット

元々ラリアットは決め技としてスタン・ハンセンが使っていた技
決め技のラリアット。

オカダ・カズチカのラリアットは歴代NO1と言っていいほどの完成した技
破壊力と華麗さでも抜群である。

オカダ・カズチカのレインメーカー
画像出典元 スポーツナビ

元祖ラリアットスタン・ハンセン

ラリアットの元祖と言えば、不沈艦スタン・ハンセン
スタン・ハンセンのラリアットが有名になったのは
首折スタン・ハンセンと言うフレーズであった。
試合中ラリアットで相手の首の骨を破壊した?

そんな強烈な技とは?
首折真相

ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンを主戦場とするWWWF(現WWE)の帝王サンマルチノが、自分が対戦するメインイベントの相手として、中堅時代のハンセンをとある人物から薦められた。プロモーターはビンス・マクマホンだが、推薦人物は先にサンマルチノにコンタクトをとるようにハンセンに忠告した。ハンセンはその忠告を守り、先にサンマルチノと会談した。サンマルチノによると、マクマホンと自分は円滑な関係ではなく、最も大事なタイトル挑戦者選びはマクマホンが取り仕切っていたというが、「君なら間違いないと思う。全力でブツかってきてくれ」とハンセンを挑戦者として承諾した。ハンセンは続いてマクマホンとコンタクトをとったが、「ブルーノが連れて来たんだ。細かい話はブルーノとしてくれ」と投げ遣りな言葉を返された。頭に来たハンセンだが、せっかくのメインイベンターとしてのチャンスをふいにはできないので、我慢することにした。

結果として、急角度で落下させたボディスラムでサンマルチノの首を負傷させ、しかもラリアットの連発を浴びせたため、以前から首の状態が思わしくなかったサンマルチノは入院、2か月の長期欠場となった。「チャンピオンを怪我させて、どう責任とってくれるんだ!」とマクマホン側の批判は厳しく、ハンセンも顔面蒼白となったが、あらかじめ根回ししていたサンマルチノは、「ハンセンを責めないでくれ。1日も早く回復してみせるから」と擁護したという。結果、WWWFはサンマルチノの穴埋めとしてハンセンを使い続けることになり、事情を知らない観客からは「俺達の英雄を怪我させたハンセンを許すな!」と非難を一身に浴びることとなった。サンマルチノが復帰しハンセンの契約が切れる頃、マクマホンから「契約を延長してやってもいい、その気があるならサインしろ。応じられないなら新日本プロレス行きを考えてやる」と言われ、時間をもらいサンマルチノに相談した。サンマルチノは「現状を考えると新日本行きが一番ベター(良い選択)だろう。マクマホンは君に興行収入の何パーセントの還元も約束してくれていないのだろう?」と新日本行きをハンセンに提案した(スター選手に興行収入の数パーセントの還元が約束されるのはアメリカのプロレス界でよくあった慣習で、WWWFでもサンマルチノらにはその待遇が与えられていた)。事情を知らないマスコミは2人には遺恨があると誤解し、「ハンセンはWWWFから追放された」などと報じた。

誰しもが興味を引かれたスタン・ハンセンのラリアットであった。
首折の真相は、ボディスラムの落下が原因と言われている。
しかし、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットの威力は抜群であった。

痛め技ではなく、乱発しない一発で仕留める決め技ウエスタン・ラリアット
オカダ・カズチカのレインメーカーも、乱発しない一発で決める技となりそこは、共通している。
小島聡もその一発のこだわりを捨てていない。

スタン・ハンセン
画像出典元 スタン・ハンセン

日本で最も成功したレスラーと言われるスタン・ハンセン
サンマルチノの助言もあり、日本を選んだスタンハンセン
来日先は、新日本プロレスであった。

持ち前のパワーとスピード
パフォーマンスも一流なスタン・ハンセンは瞬く間に新日本プロレスの外国人エースとなった。

スタン・ハンセンは新日本プロレスから
全日本プロレスに移籍となる。

当時の全日本プロレスはドリー・ファンクとテリー・ファンクのザ・ファンクスが人気絶頂。
同じテキサス出身のスタン・ハンセンはザ・ファンクス特にテリー・ファンクを目の敵にした。

スタン・ハンセンは、テリー・ファンクが全日本プロレスで、エース的な存在が気に入らない。
テリー・ファンクの実力に疑問を感じたスタン・ハンセン
電撃的に全日本プロレスの会場に現れ、テリー・ファンクにウエスタン・ラリアットをくらわし
全日本プロレスに電撃的な移籍を発表した。

遺恨の出来たスタン・ハンセンはブルーザー・ブロディと超獣コンビを結成
ザ・ファンクスと抗争を展開した。
ザ・ファンクスは、パワーとスピードで圧倒的な力を誇る、超獣コンビに勝る事は出来ず。
ウエスタン・ラリアットの餌食となるテリー・ファンク
結果テリー・ファンクを引退へと導く事になる。

新日本プロレスと全日本プロレスでスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットの威力は
認知され、日本外国人最強の称号を手に入れた、スタン・ハンセン。

日本でメジャーな技になったラリアット、ラリアット生みの親、スタンハンセンはこう話す。
西部劇でカウボーイが縄をグルグルと回して投げる様子を見たことがありませんか? あれをラリアットと呼ぶんです。

スタン・ハンセン
画像出典元 全日本プロレス

ハルク・ホーガンのアックス・ボンバー

新日本プロレス時代スタン・ハンセンとタッグを組む事のあった
ハルク・ホーガン
まだ、スーパースターとなる前のハルク・ホーガン
スタン・ハンセンが新日本プロレスから全日本プロレスに移籍

IWGP決勝リーグ戦が行われ、アントニオ猪木がIWGPヘビー王座創設する前
ハルク・ホーガンは、アックス・ボンバーをアントニオ猪木に浴びせKOした。

そしてハルク・ホーガンは、第1回IWGPトーナメント覇者となた。
アックスボンバーとは、右腕の肘を曲げ
相手の顔面へぶち込むラリアット系の技、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットからヒントを得た
ハルク・ホーガン当時は、ウエスタン・ラリアットとアックス・ボンバーの違いの論争が巻き起こった。

ハルク・ホーガンもスタン・ハンセンはのウエスタン・ラリアットからヒントを得た技とは認めている。
スタン・ハンセンのスピードとパワーのウエスタン・ラリアット
ハルク・ホーガンの長身から繰り出される、アックス・ボンバー
どちらも威力はバツグンで全日本プロレスと新日本プロレスのエースとして両者は君臨。

ラリアットは、別の人物が使うとまた、威力も精度も変わる技として
ラリアットブームがプロレス界に起る事になる。

ハルク・ホーガン
画像出典元 新日本プロレス

ハルク・ホーガンはアックス・ボンバーで
新日本プロレス総帥アントニオ猪木を撃破

アントニオ猪木舌出し事件でその試合は有名である。
新日本プロレスやアントニオ猪木を心酔していたハルク・ホーガンだが

アントニオ猪木を撃破した事により
アントニオ猪木VSハルク・ホーガンの図式が出来上がる事になる。
これがIWGPヘビー級王座が出来る初期のストーリーである。

アメリカに帰国後WWF世界ヘビー級チャンピオン「現WWE」となり
スーパースターの階段を歩むハルク・ホーガン

ハルク・ホーガン
画像出典元 WWE

長州力の力ラリアット

得意技、決め技はそのレスラーが使って初めて説得力を増すもの
スタンハンセンのラリアットはスタンハンセンのものであった。
ハルク・ホーガンはアックス・ボンバーで新日本プロレスを制圧した。

あまり、他人の技を真似る事の少ない、プロレス
ラリアットは、巨体、パワー、スピードなどがあって成立する技で
日本人には、不向きとも思われた。
まず、日本人で、ラリアットメジャーにしたのは長州力である。

リキラリアットと呼ばれ、それから選手の名前とラリアットがつけられる時代があった。

長州力
画像出典元 全日本プロレス

打倒・アントニオ猪木を目指し新日本プロレスを主戦場にしていた長州力
藤波辰爾との名勝負数え歌と呼ばれた試合

藤波辰爾、アントニオ猪木に力ラリアットを浴びせ続けた長州力
ラリアットは、長州力の代名詞となった。

ダウンさせた相手が起き上がるタイミングを計らい、自らロープにとんでスピードと勢いで豪快に決めるラリアットであった。
CHAOSの石井智弘がそのタイミングを継承している。
新日本プロレスに復帰した長州力はこのラリアットの連発から
アントニオ猪木から完全フォール勝を奪った。

アントニオ猪木VS長州力
画像出典元 新日本プロレス

ヒットマン・ラリアット阿修羅原

全日本プロレスので活躍していた阿修羅原であったがジャンボ鶴田や天龍源一郎
ジャパンプロレスの長州力など抗争がメインで阿修羅原にスポットが浴びる事はなかった。

阿修羅原は、長州力や天龍源一郎の試合に乱入しラリアットを繰り出し
自分をアピールするため、試合をぶち壊していった。

ラガーマンの阿修羅原のダッシュ力は半端ではなく
対戦相手をヒットマンラリアットで秒殺し注目を集めた。

長州力が全日本プロレスを離脱、ジャンボ鶴田と天龍源一郎が鶴龍コンビを解消
その流れもあり、天龍とコンビを結成
龍原砲を結成した。

長州力率いるジャパンプロレスが撤退し、衰退化する全日本プロレスに新たな風を起こしたこれが天龍同盟である。
レボリューショの名の元に集まった。

天龍源一郎、阿修羅原、サムソン冬木、川田利明は全日本プロレスの正規軍
ジャンボ鶴田や谷津、タイガーマスクと好勝負を展開し、全日本プロレスのを盛り上げる事になる
阿修羅原もヒットマン・ラリアットで夢を掴んだ1人である。

阿修羅原乱入
画像出典元 全日本プロレス

小橋建太剛腕ラリアット

全日本プロレス四天王プロレスと呼ばれた1人小橋建太
プロレスリング・ノアに移籍
全日本時代にフィニッシュホールドとして使っていたのは
ムーンサルトプレスであった。
ノア時代に入ると、秋山準がノアの頂点に君臨した。

怪我で欠場する小橋を尻目に、三沢光晴との戦いを勝ち抜いた秋山準
プロレスリング・ノアは秋山準がトップとなった。
世代交代を思わせた瞬間であったが。
伏兵小川良成や三沢光晴や高山善廣などが王座として入れ替わった。
奇跡的な復帰を果たした小橋建太は、全日本より体が大きくなり
腕も見るからに巨大化していた。

小橋建太 剛腕ラリアット
画像出典元 プロレスリング・ノア

その、腕から助走もなく繰り出されるラリアットは剛腕ラリアットと呼ばれた。
しかし、唐突に繰り出される事も多いラリアットであった。
小橋建太は剛腕ラリアットでGHCヘビー級チャンピオン13度連続防衛
絶対王者と言われた。

小橋建太には、数多くの技がある、ハーフネルソンスープレックス
バーニング・ハンマーなどどれも強力だが
決め技は、剛腕ラリアットの印象が強い。
剛腕ラリアットと呼ばれた選手は後に何人かいたが元祖剛腕は、小橋建太の説得力のあるラリアットである。



スタン・ハンセンから継承したウエスタン・ラリアット小島聡

新日本プロレスから全日本プロレスと渡り歩いた小島聡
新日本プロレス時代はのラリアットは、力任せのラリアットであった。
天山広吉モンゴリアン封印解禁?真モンゴリアン、試合は小島聡のラリアットで勝利

全日本プロレスに移籍した小島聡その移籍が
ウエスタン・ラリアットを継承する事になる。
ラリアットの元祖スタン・ハンセンであるが直接指導したのは
小島聡だけである。
スタン・ハンセンからラリアットを伝授してもらった小島聡

全日本プロレスの至宝、3冠のベルトを四天王の1人川田利明から奪う事に成功
3冠ヘビー王者となった小島聡は盟友天山広吉と対戦する事になる

当時の天山広吉は新日本プロレスのIWGPヘビーチャンピオン
史上初めて勝者には、3冠ヘビー王者とIWGPヘビー王者の4冠王座となる
天山広吉に勝利した小島聡は4冠となり天下人となった。

歴代のラリアットの使い手を見ても
オカダ・カズチカのレインメーカーは、威力、技の精度、試合の流れからのフィニッシュ技として完璧である。
小橋建太が見せたショートレンジのラリアットなどが全てミックスされている
オカダ・カズチカのレインメーカーは、完成されたラリアットと言える

IWGPヘビー連続防衛記録を作ったオカダ・カズチカのレインメーカー
ラリアットが歴史を変えてきたプロレス、いまから数多くのラリアットの名手が誕生するであろう。

繋ぎの技からフィニッシュホールドまで多種多様な使い手が存在する
ラリアットの進化がまた楽しみである。
小島聡 再びIMPACTレスリングへライノと対戦。真壁刀義と過去に対戦