中邑真輔レッスルマニアでWWE王座挑戦

2003年天山からIWGP王座を奪取した
最年少で王座獲得した中邑真輔
2016年新日本プロレスを退団するまでの
中邑真輔はIWGP王座との戦いだった。

総合格闘技にも参戦した中邑真輔。ボクシング、K-1、総合などプロレスの復権目指し矢面に立った
若き日の中邑真輔。
様々な格闘技の中で一番素晴らしいのは、プロレス「一番すげぇのはプロレスなんだよ!」
若い中邑真輔に希望を抱いたプロレスファンたちとプロレスファンを熱くさせた。

低迷していたプロレスに渇をいれた一言であった。

中邑真輔が絶対的なスターになるにはまだ長い年月必要であった。

紆余曲折をへて棚橋弘至と共に新日本プロレスに再び黄金時代を作り上げ
WWEに旅立った。

WWEレッスルマニア中邑真輔
画像出典元 (C)2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.

WWEレッスルマニア王座挑戦

中邑真輔がロイヤルランブル初参戦初Vの快挙! レッスルマニアでWWE王座挑戦。
日本人としてWWEで快挙。

中邑真輔のWWE世界王座挑戦が決まった。

中邑真輔
画像出典元東スポ

世界のインドア・スポーツのイベントにおける過去最高の観客動員数を記録

名実ともにプロレスの興行としては世界最大の大会である。
WWEのレッスルマニアは、新日本プロレスで育ったハルク・ホーガンが作った歴史でもある。

アントニオ猪木に鍛え上げられたホーガンはアメリカに帰国後、ロッキーなどの映画出演もあり
名実共にスーパースターになった。

レッスルマニア~レッスルマニアⅦまではハルク・ホーガンの独断場である。
レッスルマニアには誰もが出場できる訳ではなく。

数多くのWWEスパースターの一部しかあの舞台に立てない。
PPV大会では400万ドルを売り上げ、観客は10万人規模も記録。
レッスルマニアの舞台に立てばプロレスラーとして成功となる。

そのメインイベントWWE王座挑戦に中邑真輔が決まった。

中邑は14番目に登場。最後の30番目ドルフ・ジグラーが登場するまでリングに残り続けた。ジグラーにジグザグを浴びてピンチとなるが、かつての盟友でライバルのフィン・ベイラーが助けに入ってジグラーをリング外に落とす。続けてランディ・オートン、ミステリオが脱落し、最後の4人は中邑、ベイラー、ジョン・シナ、ローマン・レインズの4人となった。

33分過ぎ、試合が動いた。中邑とベイラーが他の2人をダウンさせ、一騎打ち状態に。互角の攻防を展開するが、その後シナとレインズが蘇生して混戦となる。中邑のキンシャサ・ニー・ストライク(ボマイェ)を防御したベイラーは、シナに背後から突き落とされて無念の失格だ。

残るは中邑、シナ、レインズの3人。中邑は狙い撃ちされるがレインズはシナがエプロンから狙ったブレーンバスターをかわすや、強烈なヒザ一撃。ついにリング上は中邑とレインズの2人だけとなった。

さあ、快挙は目前だ。パンチとエルボーの打ち合いからスーパーマンパンチを被弾するが、中邑はエプロンでこらえる。するとコーナーで逆さ式の三角絞め。これはパワーボムで返されるもダメージは与えた。場内はナカムラコール一色だ。スピアーをヒザで迎撃するも、その直後にキンシャサ弾が顔面を直撃。ダウンしたレインズを抱えてリング外に投げ捨て、堂々と実力で大殊勲の優勝を決めた。

新日本プロレスの黄金カードはついに世界最大の祭典のメーンにまで昇格。日本の“ロックスター”はついにWWEのトップの座に王手をかけた。

新日本プロレス黄金カードがWWEのメインになる
AJスタイルVS中邑真輔