全日本プロレスからプロレスリング・ノアへ
プロレスリング・ノアは、故三沢光晴が全日本プロレスを退団
新しく新設した団体である。
全日本プロレスで出来なかった事を実現するために三沢光晴に賛同した
数多くの全日本プロレスレスラー達が、プロレスリング・ノアに移籍した。
当時のプロレス界で大きな波紋を呼んだ、プロレスリング・ノア
その勢いは止まらず、日本のプロレス界を飲み込んでいった。
現在、プロレス界の一大勢力新日本プロレスの選手たちもノアの勢いに飲まれた。
馬場全日本プロレスは、鎖国的な団体で、他団体との対抗戦や、対戦などを行わない団体
新日本プロレスが異種格闘技やUWFなどと対抗戦をしても
ジャイアント馬場は皆無せず王道プロレスを歩いた。
ジャイアント馬場が亡くなり、馬場夫人が主導を握り、三沢光晴が社長となり
全日本プロレスは王道を歩くはずであった。
しかし、時代は変化し、ファンは全日本プロレスや新日本プロレスの対抗戦や
他の団体との試合を望んだ。
三沢光晴VS武藤敬司
川田利明VS橋本真也
蝶野正洋VS小橋建太
などドリームカードが数多く存在した時代であった。
三沢光晴は、馬場夫人と意見の対立で全日本プロレスを退団した。
三沢光晴が立ち上げた団体カラーは三沢光晴の色エメラルドグリーンのマットであった。
三沢光晴がプロレスリング・ノアを作った事で数多くのドリーム・マッチが実現している。
全日本プロレスに残された四天王の1人川田利明もある意味、三沢光晴より
ドリーム・マッチを実現させた。
全日本プロレス〜プロレスリング・ノアに三沢光晴が移籍した事はある意味有意義なものをプロレスファンに与えた。
プロレスリング・ノアにニューヒーロー清宮海斗
三沢光晴がリング上で不慮の事故で亡くなる事で
プロレスリング・ノアは窮地に立たされる。
残った、小橋建太、田上明、秋山準らは必死に三沢光晴の作った、プロレスリング・ノアを守ってきたが、引退、移籍などで四天王の時代は終わった。
プロレスリング・ノアの主要選手は、多くの団体に散り引退していった。
残された、丸藤正道と杉浦貴はプロレスリング・ノアの象徴となった。
プロレスリング・ノアは新しい選手の台頭を待った。
しかし、ノアの象徴となるべく選手は現れず、現在でも杉浦貴のGHCヘビー級チャンピオンの時代が続き
丸藤正道は、全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルで優勝
全日本プロレスの象徴である宮原健斗を撃破している。
杉浦貴と丸藤正道の時代を変えるべくニューヒーローがプロレスリング・ノアから誕生した。

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プロレスリング・ノアでデビュー戦したのは2015年12月
若干22歳でグローバルリーグに参加した清宮海斗
シングルマッチで結果を出せていない清宮海斗は2016年参加のグローバルリーグでは、0勝であった
しかし、今回の清宮海斗は師匠のGHCヘビー級チャンピオン杉浦貴からフォール勝ち
その後連敗するも、モハメド・ヨネ、潮崎、マイバッハ谷口をタタイガースープレックスホールドでフォールして3連勝
強者からフォール勝ちを奪った、清宮海斗
その勢いで決勝に進出、決勝で中島勝彦にフォール勝ち
最年少優勝を果たした。
清宮海斗の身に着けるコスチュームの色はグリーンである
ノアの象徴グリーンを背負って優勝した清宮海斗
三沢光晴が生存していれば50半ばである清宮海斗は三沢光晴の子供と言ってもいい何例差である。
清宮海斗は三沢光晴に憧れノアに入って来た
ノアの象徴である緑色のショートタイツをはいてノアの頂点を目指す。
最年少GHCヘビー級チャンピオン
グローバルリーグに優勝した、清宮海斗はその勢いでGHCヘビー級チャンピオン挑戦を表明した。
方舟の天才丸藤正道がGHCヘビー級チャンピオンを巻いた年齢は
26歳11カ月
新日本プロレス最年少記録は
中邑真輔23歳9カ月
清宮海斗がGHCヘビー級チャンピオンのベルトを巻くと22歳5か月となる。
メジャー最年少記録更新となる清宮海斗
中邑真輔がIWGPヘビー王座になったとき、プロレスはK1やprideから押され
不遇の時代であった。
中邑真輔は総合格闘技に出陣しプロレスは最強と証明した。
清宮海斗を時代を変えるならベルトは絶対に必要である
三沢光晴の最後の遺伝子がプロレスリング・ノアを変革に持ち込む。