ジャイアント馬場とアントニオ猪木と天龍源一郎

大相撲から、ジャイアント馬場の誘いで全日本プロレスへ入団した天龍源一郎
ジャイアント馬場とジャンボ鶴田とエース、若大将のいる盤石の全日本プロレス

天龍源一郎は、3番手として全日本プロレス第三のお男と呼ばれる
そんな男が、日本プロレスを作った力道山の弟子、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人から
ピンフォールを奪っている。

ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、それぞれの団体を持ち、その両方の団体に上がらないとそれは実現しない。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、お互いシングルで対戦することなくジャイアント馬場はその生涯を終えた、そしてアントニオ猪木は引退となった。

ジャイアント馬場の愛弟子はジャンボ鶴田、数々の功績を上げた、ジャンボ鶴田だがジャイアント馬場からピンフォールを奪っていない。
ミスタープロレス天龍源一郎はどんなレスラーだったのか?

天龍源一郎、夢のカードを実現したプロレスラー。

それはジャンボ鶴田の性格からくるものかもしれないが、ジャイアント馬場を倒そうとは思っていなかったであろう。
アントニオ猪木の愛弟子は、まずは藤波辰巳(辰爾)、長州力、前田日明であろうか
藤波辰巳、長州力はそれぞれ、アントニオ猪木からピンフォールを奪っている。

前田日明は長州力と同じく、新日本プロレスを退団した、長州力は新日本プロレスに戻りアントニオ猪木の首をとったが、前田日明は新たな団体を成功に導く、アントニオ猪木と対峙したのはまだ若手の頃
アントニオ猪木の延髄切りで沈んだ。
新日本プロレスを退団格闘王前田日明

IWGPヘビー級とジュニアヘビー級 2階級制覇高田延彦。

前田日明は、アントニオ猪木から最も恐れられた弟子ではなかたろうか。
新日本プロレスの特性上アントニオ猪木首を奪う=天下取りとなる風潮があった。
しかし両者からピンフォールを奪ったのは天龍源一郎だけである。




ジャイアント馬場&ラッシャー木村VS天龍源一郎&スタン・ハンセン

天龍源一郎は、全日本プロレスで天龍革命を起こし、全日本プロレスを活性化に向けて動き出す
全てが全力で駆け抜けていた。

紆余曲折あり、天龍源一郎は、スタン・ハンセンとタッグを組み
全日本プロレス世界最強タッグに出場
晩年、ジャイアント馬場はラッシャー木村とタッグを組んでいた。

力関係で言えば、天龍源一郎とスタン・ハンセンが力関係では上であろう
天龍源一郎は、容赦なくジャイアント馬場を攻め込む
ジャイアント馬場も応戦するが、ついに孤立してしまったジャイアント馬場は、天龍源一郎とスタン・ハンセンから猛攻撃を受ける。

そして、天龍源一郎のパワー・ボムでピンフォール負けをしてしまう。

天龍源一郎がジャイアント馬場からピンフォールを奪う
画像出典元
全日本プロレス
世界最強タッグ

ピンフォールを奪った天龍源一郎は、意外な顔をしていた
跳ね上がって喜ぶ事などなく、その情景を見つめていた
師匠であるジャイアント馬場からピンフォールを奪うその快挙

天龍源一郎はにしがみつくスタン・ハンセンが印象的であった。


天龍源一郎、新日本プロレス上陸アントニオ猪木の魔性に落ちるもピンフォールを奪う

1994年東京ドームで、アントニオ猪木VS天龍源一郎の対戦が実現した。
しかしアントニオ猪木は、全盛期には程遠い天龍源一郎の優位は変わらなかった。

しかしアントニオ猪木は、天龍源一郎を魔性のスリーパーで失神させてしまう。
そのまま試合終了と思いきや、レフリーは天龍源一郎の蘇生を待った。

この場面は後に議論を呼んだが、試合は再開してしまう。
そして結果は、ジャイアント馬場をほおむったパワー・ボムでアントニオ猪木はをピンフォールする。

天龍源一郎がアントニオ猪木からピンフォールを奪う
画像出典元
NJPW
新日本プロレス

ピンフォールを奪われた、アントニオ猪木は負けた事を気付かなかった
すぐさま天龍源一郎に襲い掛かり、レフリーから試合終了を告げられる。

この結果天龍源一郎は、ジャイアント馬場とアントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラーとなった。
天龍源一郎の歩んだ歴史は、激震そのものであった。