アントニオ猪木の弟子藤波辰爾

アントニオ猪木が日本プロレスを除名退団。
藤波辰爾(辰巳)も退団
アントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスに参加した。

カール・ゴッチ杯で優勝した藤波辰爾は海外に旅立つ。
カール・ゴッチ杯は現在のヤングライオン杯。若手の登竜門。
この海外への遠征がドラゴン・ブームを巻き起こすわけになる。

この頃の藤波辰爾は、アントニオ猪木の一番弟子と言うイメージが強く
アントニオ猪木の次に新日本プロレスを背負って立つのは
藤波辰爾以外はないと誰しもがそう感じていたはずである。

その通り、藤波辰爾は新日本プロレス社長までになったが
現在新日本プロレスは退団
無我を得て、ドラディションで現役を続ける藤波辰爾。

新日本プロレスを退団した経緯は憶測にすぎないが、アントニオ猪木体制から
ユークス、プシロードと新日本プロレスの経営が様変わりする中

現在の新日本プロレス体制になるまでの間の波にのまれ、新日本プロレスを退団したとなるであろう。
現在の新日本プロレスには、創設者アントニオ猪木や藤波辰爾、長州力、タイガー・マスクなど新日本プロレス創成期支えた人物はいない。
全く新しく生まれ変わった団体と言ってもよいであろう。

アントニオ猪木の作ったIWGPヘビー級は今も新日本プロレス最強の証として存続している。

鶴藤長天の中の藤波辰爾の存在

鶴藤長天懐かしいフレーズである
鶴藤長天とは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の次の世代を意味する。

全日本プロレス、新日本プロレスの後継者。
ジャンボ鶴田、藤波辰爾、長州力、天龍源一郎の頭文字を使いプロレスをモジったフレーズであった。

長州力は藤波辰爾との戦いでその自身のコンプレックスを打ち破り覚醒した。
長州力は革命戦士と呼ばれ
長州力ブームを作った。
長州力が仕掛けた、日本人同士のイデオロギーの戦い。

大きく日本のプロレスを変えた。
日本人対外国人のプロレスから、日本人対日本人を当たり前にしたのは長州力の功績。

その長州力は、全日本プロレスで天龍源一郎、ジャンボ鶴田と戦い
全日本プロレスでプロレスブームを巻き起こす。

大阪城ホール 伝説怪物ジャンボ鶴田VS長州力完全決着戦、百戦錬磨ジャンボ鶴田が仕掛けたフルタイム戦。

藤波辰爾と戦っていた頃の長州力の覇気はなく。
名勝負数え歌と言われた藤波辰爾VS長州力の試合程ではなかった。

攻撃の天龍源一郎、長州力。
最強と言われたジャンボ鶴田であった。
その藤波辰爾の存在は3人と比べたら素人には分かりずらいものもあった。

その答えを明確に話してくれたのは、格闘王前田日明である。
前田日明は異端児で新日本プロレス、UWF、リングスと我が道を究めた。

引退後も、ビッグマウス、HERO’S、THE OUTSIDERとアドバイザーなどを務める前田日明
朝倉海や未来兄弟をプロデュースしたのも前田日明である。

現役時代あの頃を知る者は前田日明が最強ではなかったか?そう思わせる前田日明の存在であった。
前田日明
新日本プロレスを2度追放された前田日明・新挌闘王と呼ばれるまで

新日本プロレスを2度追放された前田日明・新挌闘王と呼ばれるまで

前田日明が新日本プロレスを退団UWFを旗上げ
そして新日本プロレスへ出戻りしてきた。

キック、関節技、スープレックスを多用する前田日明のファイトスタイル。
格闘技の色が濃い前田日明は、新日本プロレスに戻ってから、対戦相手と全く噛み合わない。
新日本プロレスはアンドレ・ザ・ジャイアントを前田日明に投入。
セメント喧嘩試合をやらせたと噂も立った。
プロレスをやらない前田日明に刺客を送り込んだ新日本プロレス。

だが前田日明は大巨人アンドレを戦闘不能まで追い込んだ。

前田氏は1986年4月29日に三重・津市体育館で、“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント(93年に46歳で没)と不可解なノーコンテスト試合に遭遇した。テレビマッチでありながら、当時のテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」では、放送されず、“伝説のケンカマッチ”として後にDVD化されるなど話題になった試合だ。
前田氏は苦笑しながら話し始めた。
「IWGP(86年の第4回リーグ戦)の前哨戦のタッグマッチでアンドレとからんで結構いい感じだったんですけど、次のシングルのトーナメント(リーグ戦)でアンドレと当たるんですかって(新日本プロレスに)聞いたら、『ない』と言われてたんです」と背景を話し始めた。当時、前田はUWFの代表として顔面ハイキックなど、妥協なき戦いを新日本に持ち込んでいた。リーグ戦はA、Bのブロックに分けられ、Aリーグに猪木とアンドレが入ったが、前田はBリーグとなりシングルでは2強から遠ざけられた。

新日本プロレスを前田日明は無人島と呼んだ。
そんな前田日明の前に現れたのは藤波辰爾であった。

常に逃げ腰のレスラー達とは違って
藤波辰爾は前田日明を正面から受けて見せた。
前田日明の技を全て受け止め
名勝負を見せた。
前田日明は藤波辰爾と戦う事で、新日本プロレスは無人島ではなく仲間がいたと藤波辰爾を称えた。

藤波辰爾は前田日明の攻撃で流血壮絶な試合は両者ノックダウンで引き分けとなった。

前田日明が語る前田日明と長州力は藤波辰爾の作品

前田日明が引退後藤波辰爾との会談で興味深い事を話した。
全日本プロレスへ移籍した長州力の試合は、新日本プロレスで戦っていた
藤波辰爾との戦いには及ばないと。

藤波辰爾がいなければ長州力は輝かない
藤波辰爾は、相手を受け入れどんな相手とでも名勝負を展開する天才的なレスラー。
前田日明戦もしかりで前田日明と長州力は藤波辰爾の作品であると。

これを聞いて藤波辰爾の偉大さが今となってわかる。
どんな強者でもベストバウトにしてしまう藤波辰爾の能力である。

自分の全てをぶつけても、藤波辰爾なら大丈夫そんなレスラーが藤波辰爾であった。
四天王と呼ばれた川田利明が、G1クライマックスで藤波辰爾と対戦。

対戦後に握手をするのは嫌いだが、自身がレスラーになる切っ掛けを作った1人が藤波辰爾さんと
自ら握手を求めた。

三沢光晴も藤波辰爾と同じリングに上がった時今までにない緊張感があったと。
昭和のプロレスと平成、令和のプロレスを比較する事に意味はないが

藤波辰爾と言う生き字引が今でも現役レスラーとして活躍している
藤波辰爾を見ておくべきであろう。

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