ストロング・マシンからスーパー・ストロング・マシンへ
アントニオ猪木や藤波辰爾全盛期のころ、新日本プロレスに突如あらわれた。
将軍KYワカマツ。
マシン軍団
新日本プロレスに数多く存在するギミックの元祖である。
マシン軍団、海賊男、魔界倶楽部など。
星野勘太郎率いる、魔界倶楽部4号は柴田勝頼。
将軍KY若松は、マシン軍団を作りアントニオ猪木に立ち向かってきた。
![マシン軍団](https://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2018/04/ea2e845006e8496219fc01cc086f2da3.jpg)
画像出典元
NJPW
ヒールのマシン軍団は同じ体系、同じコスチュームで増殖。
試合権利のない物が試合中入れ替わり戦い
試合を翻弄し、ヒールを存分アピールした。
増殖したメンバーには外国人も多く
その後マスクを被ったレスラーは、アンドレザジャイアントもいた。
実力者の1号は、藤波辰爾(辰巳)との戦いで、反則などの攻撃より
プロレスの実力で藤波辰爾を倒したいと戦いに目覚めていく事になる。
プロレスのファンではご存知の藤波辰爾の試合後乱入したマシーン1号
そのマシンに言った迷言?明言。
おまえ!!平田だろ。
平田だろ、お前。
衝撃を受けたマシンはマスクを脱いだが、素顔はタオルで隠したままだった。
この事をきっかけに、マシン1号はレスリングで勝負する事に目覚め
若松の介入を拒むようになる。
若松ともだんだん距離が出来てくる事になったマシン1号
藤波辰爾と試合で、マシン1号は
藤波辰爾との戦いに加入する若松と仲間割れを起こし
軍団を脱退。
ヒールからベビーフェイスに・・
スーパー・ストロング・マシンに変身する事になる。
![スーパー・ストロング・マシン](http://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2018/04/SnapCrab_NoName_2018-4-12_21-23-31_No-00-1.png)
画像出典元新日本プロレス
スーパー・ストロング・マシン
スーパー・ストロング・マシンの存在は
新日本プロレス創設者アントニオ猪木や1番弟子藤波辰爾
新日本プロレスを盛り上げていた時期を思い出させる。
現在、アントニオ猪木や藤波辰爾は新日本プロレスにはいない
マシーン軍団は新日本プロレス世代闘争や、世代交代が始まる前に起きた出来事。
異種格闘技から長州力や前田日明などを巻き込む変化前
世代交代の戦いの序章
スーパー・ストロング・マシンの新日本プロレスの残した
功績は大きい
![スーパー・ストロング・マシン](http://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2018/04/スーパー・ストロング・マシン.png)
画像出典元新日本プロレス
マシンは84年に将軍KYワカマツ率いるマシン軍団のメンバー・ストロングマシンとして新日マットに登場。183センチ115キロの大型マスクマンとして、覆面=ジュニアの定説を覆す大暴れを見せた。その後はS・S・マシンに改名。86年には全日本プロレスに参戦して故阿修羅・原さんとアジアタッグ王座を獲得した。87年には新日本に復帰して2度、IWGPタッグ王座を獲得。オリジナルの魔人風車固めを武器に、多くのヘビー級選手と好勝負を展開した。
素顔のストロングマシン
![平田淳二 スーパーストロング・マシン素顔](https://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2018/04/SnapCrab_NoName_2018-6-19_6-50-5_No-00.png)
画像出典元 新日本プロレス
一時期は、素顔で戦ったスーパー・ストロング・マシン
しかし、再度スーパー・ストロング・マシーンに戻った
マスクマンの先駆者の引退理由には、愛妻の逝去があった。スーパー・ストロング・マシン(年齢不詳)の引退記念興行が行われ、自身はセコンドを務めたメインの引退記念試合後に、引退セレモニーが開かれた。84年に新日マットに出現して以降、数々のユニットに参加しながら、ファンに愛され続けたヘビー級マスクマンに、惜しみない拍手が送られる中、ヒロ斉藤や垣原賢人、魔界倶楽部などの盟友たちも駆けつけた。
アントニオ猪木の藤波辰巳・前田日明・長州力との戦い
新日本プロレスの歴史を知るスーパーストロング・マシン
平田淳二は、プロレス選手に幕をおろす
![マシン軍団](https://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2018/04/SnapCrab_NoName_2018-6-20_6-21-8_No-00.png)
画像出典元 日刊スポーツ
![](https://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2017/11/SnapCrab_NoName_2018-4-5_8-1-56_No-00.png)
棚橋弘至マシン 真壁刀義マシン
「日本ではシングル王者にはなれなかったけど、会社だって皆が皆、社長になれるわけじゃないでしょ。自分はトップではなくて、2番手の人生。そういう人がいないと、世間もプロレスも成り立たない。全然後悔してないですよ。マシンになって、マシンで引退できてよかった」。
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