ストロング・マシンからスーパー・ストロング・マシンへ

 

アントニオ猪木や藤波辰爾全盛期のころ、新日本プロレスに突如あらわれた

将軍KYワカマツ

 

新日本プロレスに数多く存在するギミックの元祖である

マシン軍団、海賊男、魔界倶楽部など

将軍KY若松は、マシン軍団を作りアントニオ猪木に立ち向かってきた

スーパーストロングマシン
画像出典元新日本プロレス

ヒールのマシン軍団は同じ体系、同じコスチュームで増殖

試合権利のない物が試合中入れ替わり戦い

試合を翻弄し、ヒールを存分アピールした

 

増殖したメンバーには外国人も多く

その後マスクを被ったレスラーは、アンドレザジャイアントもいた

 

実力者の1号は、藤波辰爾との戦いで、反則などの攻撃より

プロレスの実力で藤波辰爾との戦に目覚めていく事になる

 

プロレスのファンではご存知の藤波辰爾の試合後乱入したマシン1号

そのマシンに言った迷言

おまえ!!平田だろ

平田だろ、お前

 

衝撃を受けたマシンはマスクを脱いだが、素顔はタオルで隠したままだった

この事をきっかけに、マシン1号はレスリングで勝負する事に目覚め

若松の介入を拒むようになる

若松ともだんだん距離が出来てくる事になったマシン1号

 

藤波辰爾と試合で、マシン1号は

藤波辰爾との戦いに加入する若松と仲間割れを起こし

軍団を脱退

ヒールからベビーフェイスに・・

スーパー・ストロング・マシンに変身する事になる

 

 

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スーパー・ストロング・マシン

 

スーパー・ストロング・マシンの存在は

新日本プロレス創設者アントニオ猪木や1番弟子藤波辰爾が

新日本プロレスを盛り上げていた時期を思い出させる。

 

現在、アントニオ猪木や藤波辰爾は新日本プロレスにはいない

マシン軍団は新日本プロレス創世記

 

異種格闘技から長州力や前田日明などを巻き込む変化前

世代交代の戦いの序章

 

スーパー・ストロング・マシンの新日本プロレスの残した

功績は大きい

スーパー・ストロング・マシン
画像出典元新日本プロレス

マシンは84年に将軍KYワカマツ率いるマシン軍団のメンバー・ストロングマシンとして新日マットに登場。183センチ115キロの大型マスクマンとして、覆面=ジュニアの定説を覆す大暴れを見せた。その後はS・S・マシンに改名。86年には全日本プロレスに参戦して故阿修羅・原さんとアジアタッグ王座を獲得した。87年には新日本に復帰して2度、IWGPタッグ王座を獲得。オリジナルの魔人風車固めを武器に、多くのヘビー級選手と好勝負を展開した。

 

 

素顔のストロングマシン

平田淳二 スーパーストロングマシン素顔
画像出典元 新日本プロレス

 

一時期は、素顔で戦ったスーパー・ストロング・マシン

しかし、再度スーパー・ストロング・マシンに戻った

マスクマンの先駆者の引退理由には、愛妻の逝去があった。スーパー・ストロング・マシン(年齢不詳)の引退記念興行が行われ、自身はセコンドを務めたメインの引退記念試合後に、引退セレモニーが開かれた。84年に新日マットに出現して以降、数々のユニットに参加しながら、ファンに愛され続けたヘビー級マスクマンに、惜しみない拍手が送られる中、ヒロ斉藤や垣原賢人、魔界倶楽部などの盟友たちも駆けつけた。

アントニオ猪木の藤波辰巳・前田日明・長州力との戦い

新日本プロレスの歴史を知るスーパーストロング・マシン

平田は、プロレス選手に幕をおろす

マシン軍団
画像出典元 日刊スポーツ

 

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魔界倶楽部4号は柴田勝頼!!

棚橋マシン 真壁マシンも

「日本ではシングル王者にはなれなかったけど、会社だって皆が皆、社長になれるわけじゃないでしょ。自分はトップではなくて、2番手の人生。そういう人がいないと、世間もプロレスも成り立たない。全然後悔してないですよ。マシンになって、マシンで引退できてよかった」。

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