プロレス団体分裂

多くの分裂を起こしてきたプロレス界
全日本プロレスに激震が走った、ジャンボ鶴田訃報から1ヶ月後に三沢光晴全日本プロレス退団

革命戦士長州力2019年夏リングを去る

団体名 設立年 概要
全日本プロレス 1972年 ジャイアント馬場が日本プロレスから独立して設立。
新日本プロレス 1972年 アントニオ猪木が日本プロレスから独立して設立。
プロレスリング・ノア 2000年 全日本プロレスから三沢光晴ら主力選手が退団し、新団体「ノア」を設立。
UWF(第一次) 1984年 新日本プロレスでの内紛分裂騒動によって新団体の「UWF(第一次)」が旗揚げされました。
WAR 1992年 元プロレスラーの天龍源一郎氏が中心となり設立。SWS(Super World of Sports)の解散後に設立され、SWSの母体だったメガネスーパーがレスラーめいめいが団体で活動するのを支援。

女子プロレス分れる歴史

団体名 設立年 概要
全日本女子プロレス 1968年 東京都品川区の品川公会堂で旗揚げ戦を開催。1997年10月には、全女で手形不渡りが発生するなど経営が傾き、トップレスラーが独立するなどして、プロレス団体の細分化が始まりました。
日本女子プロレス 1954年 1954年11月19日、蔵前国技館で「世界女子プロレスリング大試合」が開かれて女子プロレス世界王者のミルドレッド・バークらが参戦しました。その後、女子プロレス団体が相次いで設立され、これらは日本女子プロレス協会にまとめられました。
LLPWとJWP 1997年 1997年12月5日にLLPWが神奈川・川崎市体育館、翌6日にJWPが横浜文化体育館で興行をおこない、団体を跨いだ2連戦で“LvsJ”が実現しました。LLPWとJWPは、元をたどればジャパン女子という一つの団体であり、5年10カ月前に分裂しました。