三沢光晴メモリアル大会
三沢光晴がこの世を去って10年が立とうとしている。
全日本プロレスでタイガーマスクで旋風を起こし。
全日本プロレスが窮地に陥った時、タイガーマスクの仮面を川田利明に脱がせ素顔になった三沢光晴。
怪物ジャンボ鶴田に何度も挑み玉砕した若き三沢光晴。
怪物ジャンボ鶴田にも勝利。ファンの心を掴んだ三沢光晴。
超世代軍を結成。川田利明、小橋建太、秋山準を大きく成長させたのも三沢光晴の手腕。
強烈なエルボー、タイガードライバー、エメラルドフロージョンは今でも後継者に受け継がれている。
ジャンボ鶴田が病気でリングを降りると全日本プロレスエースとなった。
スタン・ハンセンやスティーブウイリアムスと激闘。
全日本プロレスの伝統、外国人に通用するエース。
三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明の戦いは、全日本プロレス四天王と呼ばれた。
四天王と呼ばれたプロレスを超える事は出来ないとジャイアント馬場に言わしめた。
90年代最高で最強のプロレスを展開。ライバル関係の新日本プロレスを圧倒した三沢光晴。
プロレスリング・ノアイメージカラー
三沢光晴が創設した、プロレスリング・ノア。
三沢の色グリーンのマットが特徴であった。
三沢光晴は46歳リングで試合中亡くなってしまうという事故が起きた。
全日本プロレスからのファン。
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、三沢光晴と受け継がれたイデオロギーはその瞬間幕を閉じた。
三沢光晴の没後プロレスから離れるレスラーやファンが続出した。
三沢光晴の遺伝子は衰退するかに思えた。
しかしプロレスは再び活性化する。
プロレスリング・ノアも三沢光晴の遺伝子は受け継がれていた
丸藤正道や杉浦貴、そしてWWEに移籍したKENTA。
いまでもその戦士たちは三沢光晴の遺伝子を引き継ぐ
その三沢光晴没後10年メモリアル大会で緑の紙テープが飛び交った。
![三沢光晴メモリアル大会](https://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2019/06/SnapCrab_No-0028.png)
画像出典
三沢光晴メモリアル大会
プロレスリング・ノア
三沢光晴の遺伝子達
格闘技に食われたプロレスは再びブームが再来。
新日本プロレスブームと言ってもよい。
だがプロレスリング・ノアは清宮海斗と言う若いGHCヘビー級チャンピオンが誕生した。
![プロレスリング・ノアGHCヘビー級選手権](https://wrestlingch.tokyo/wp-content/uploads/2019/02/SnapCrab_No-0060.png)
画像出典
プロレスリング・ノア
東スポWEB
タイガー・スープレックスで快進撃を続ける清宮海斗。
プロレスリング・ノアの象徴。杉浦貴や丸藤正道もその清宮海斗を追撃する。
WWEに移籍したKENTAはヒデオ・イタミと名乗っていたがKENTAに名前を戻した。
新日本プロレスG1クライマックスに参戦。新日本プロレスへ挑む。
小橋建太や三沢光晴の遺伝子をもつKENTA
全日本プロレス、ノアファンも見逃せない戦い、KENTA新日本プロレス参戦。
三沢光晴の遺伝子は脈々と受け継がれていく。