プロレスと女子プロレス
全日本プロレス、新日本プロレスが馬場、猪木抗争で盛り上がりを見せたころ
女子プロレスも多くの盛り上がりを見せてきた。
男子プロレスとは異質な世界観を持っていた、女子プロレス。当時のプロレス
プロレスは、全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレス女子プロレスは、全日本女子プロレスという事になる。
全日本プロレスは、エースジャイアント馬場
新日本プロレスは、アントニオ猪木
国際プロレスは、ストロング小林がエース国際プロレスのストロング小林離脱後
全日本プロレスや、新日本プロレスで活躍する。
アントニオ猪木に似た風貌のストロング小林。
ラッシャー木村、アニマル浜口、阿修羅原など個性的なメンバーがいた国際プロレス。
日本女子プロレスリング連盟
女子プロレスには、短い期間であったが、日本女子プロレスリング連盟が存在
日本女子プロレスリング連盟は乱立する、女子プロレスを統一
日本女子プロレスを立ち上げたが、これも分裂。
クラッシュギャルズなどを多くの選手を育てた、全日本女子プロレスが出来た。
全日本女子プロレスは、当時はマッハ文朱選手が有名で、人気者であった。

今日はPON PON
女子レスラーは強さより、アイドル性があるレスラーが人気があった。
現実に、マッハ文朱も、アイドル歌手発掘番組スター誕生にでたアイドル歌手志望であった。
ビューティーペア時代
マッハ文朱と入れ替わりに登場
ビューティーペアは女子プロレスのブームを作った.
かけめぐる青春は80万枚のヒットとなり
女子プロレス&歌手が定番になったのもこのブームが一つのきっかけであった。
女子高生に人気を付けた女子プロレスであったが、プロレスよりも
その他で人気になったのは否めない.
ビューティーペアは、ジャッキー佐藤とマキ上田のペア対決で解散となる。
結成から3年後の1979年2月27日、「敗者は引退する」というルールの元で、王者・ジャッキーに挑戦者・マキが挑むビューティ・ペア同士のWWWA世界シングル王座戦が行われ、マキは敗れ引退
クラッシュギャルズ登場

ビューティーペア解散後、女子プロレスの人気は下降する事になるが
1984年再び女子プロレスブームに火が付いた、クラッシュギャルズの登場であった。
ライオネス飛鳥&長与千種によるクラッシュギャルズが登場
再び女子プロレスブームとなる。
強さのライオネス飛鳥、長与千種は痛めつけられ“滅びの美学”まさにこの言葉がピッタリだ
極悪同盟なる、ダンプ松本、ブル中野との抗争、安部史郎の極悪同盟に偏ったレフリーなど
徹底的にクラッシュギャルズのストーリーを作る全日本女子プロレス。
ダンプ・松本と長与千種戦いは、爆発的な人気を得た、正義の長与千種と悪のダンプ・松本
長与千種は圧倒的支持を得て全日本女子プロレスの人気は不動のものとなっていく。
長与の試合は、痛めつけられ、耐える場面ばかりが印象に残る。“敗北の美しさ”を帯びるためには、女子プロレスでタブーだった流血さえいとわない。
「僕らも見るのが嫌なくらいに真剣勝負をやってましたから。常にハラハラしてて、死んじゃうんじゃないかって。試合中に誰かが死ぬんじゃないかって、実況中継してても怖かったですよ。だから僕は必ず会うごとに『もうやめろよ、あんな試合はやめろ』ってクラッシュに言ってましたね」(志生野氏)
そんなクラッシュ、いや、長与による追求はある一戦で結実する
クラッシュギャルズは、人気だけではなく
当時大人気の革命戦士長州力の代名詞、サソリ固め、蹴り技、空手技を本格的に鍛錬習得、女子プロレスの戦士。
長与千種達が見せる女子プロレス、明らかに今までの女子プロレスの常識を覆す。
新しい時代の女子プロレス。
観客は女性支持から、男女問わずクラッシュギャルズに魅せられた。
人気の原因は、負けても観客を魅了してしまう、長与の卓越した能力である。
長与千種は、後に女子プロレスのカリスマと呼ばれることになる。
長与千種の登場は、女子プロレス界に大きな影響を与えた。
長与千種のGAEA JAPAN設立
長与千種は、一度現役引退。
長与千種に魅せられレスラーになった者は数多く、引退しても長与千種の影を皆が追いかけた。
長与千種と対戦を希望する者は数多く、長与千種復活待望論が持ち上がる。
神取忍、北斗晶、ダイナマイト関西、アジャコング、井上京子、豊田真奈美
ジャガー横田、デビル正美新旧問わず多くの有能な女子プロレスラーがいた。
北斗晶の必殺技、ノーザンライトボムは、当時新日本プロレスの佐々木健介の必殺技となった。
男子プロレスでも通用する事を知らしめた。
長与千種は、レスラーとして復帰する事になる。
復帰後、リアルな女子プロ団体
GAEA JAPANを設立し、再び女子プロレス活性化に動く。
長与千種の弟子として若干15歳の里村芽衣子がいた。
里村芽衣子は史上最年少でプロレスデビューを果たした。

■ 本名:長与千種(ながよ ちぐさ)
■ 身長:166cm 体重:71kg
■ 生年月日:1964年12月8日生・長崎県大村市出身
■ デビュー戦:1980年8月8日
東京・田園コロシアム vs大森ゆかり
■ 経歴:全日本女子(80~89)-フリー(93~94)-GAEA(94~05)
■ 得意技:ランニングスリー、スーパーフリーク、二段蹴り
■ 入場テーマ:AVE HEART(GAEA LOCUS収録)
80年、全日本女子プロレスにおいてデビュー。84年8月、飛鳥とともにクラッシュ・ギャルズを結成し、女子プロレスブームを巻き起こすが、89年、絶頂期に引退。その後、タレントとして芸能界に転身する。
93年、全女創立25周年大会に特別出場。同年11月、JWPマットにおいてフリーとして正式復帰を果たす。
94年8月、GAEA設立を発表し、翌年4月、後楽園ホールにおいて旗揚げ。以後、GAEAのトップとして様々な戦いを繰り広げ、AAAWシングル王座の2度に渡る獲得や、アメリカでもう一つの顔・ZEROを生み出すなど、個人として活躍する一方、プロデューサーとして自らの手で新人を育て上げ、団体躍進の原動力としても活躍する。
99年には飛鳥と10年振りに激突し、惨敗を喫した上に団体の全権を奪われるが、9月の再戦でリベンジ。紆余曲折を経て再合体を果たし、クラッシュ2000を結成する。
2004年11月、飛鳥とともに翌春の引退を表明。
4.3横浜でクラッシュを封印、そして4.10GAEAファイナル興行で、自らのレスラー人生に幕を引いた。
女子プロレスに革命を起こしてきた長与千種。
現在は、引退のカウントダウンに入っている。
WWE無敗のアスカ
WWEに参戦した女子プロレスラーアスカ

現在WWE・NXTで無敗のアスカ。
外国人選手に引けを取らないファイトスタイルで、決め技アスカロックはWWEで認知された。
初代タイガーマスクのスーパータイガー時代の必殺技。チキンウイングフェイスロック
今の時代ではSANADAが見せるスカルエンド、飛龍裸締めに似たような
フェイスロックで決め技にも説得力がある。
日本の団体を渡り歩いてきた、華名ことアスカ
日本人プレイヤーとして、世界を圧巻している。
今後の女子プロレスにも期待したい。
カリスマ・長与千種 GAEA JAPAN ガイアイズム復活大会開催。
日本人女子プロレスがWWE女子を圧倒、アスカはWWE退団か?