小橋建太のプロレスイズム

日刊SPAの小橋建太さんトーク連載

青春おすそわけで棚橋選手との会談が実現

 

この二人が揃って写真に出ると

世代を超えたプロレスを感じる

プロレススタイルも、違う2人が何を語るのか興味深い

 

小橋建太&棚橋弘至
画像出典元新日本プロレス 日刊SPAの小橋建太さんトーク連載




小橋建太全日本3冠王者までの道のり

 

全日本プロレスは、ジャイアント馬場さんが作った団体で

老舗の団体だ

今では、大きく新日本プロレスに溝をあけられているが

両団体は、常にライバル団体であった

 

小橋が最前線で出てきた時代は

ジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴、川田利明、田上明、スタンハンセンなどが

凌ぎを削って、3冠統一を目指していた

 

UNヘビー級、PWFヘビー、インターナショナルヘビー級

インターナショナルヘビー級は、力道山が創設したベルト

UNヘビー級(ユナイテッドナショナル) アントニオ猪木など保持

PWFヘビーは全日本のシンボル王座として設立された

 

その、3つのベルトがそれぞれの戦いを経て

時代の流れと共に、1人の王座を決めようと言う流れが

3本のベルトの統一である。

 

当時怪物と言われた、ジャンボ鶴田、不沈艦スタンハンセンなど

この強豪のなかに、小橋建太が入っていくのは試練の道である

現状では、三沢光晴、川田利明も太刀打ち出来ない相手である

しかし、小橋建太は不屈の精神で、この道を突破していくのである

ジャンボ鶴田怪物への序章

1996年に初栄冠

三沢、川田、田上、小橋の順に3冠王座に輝いている

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小橋建太四天王の道

晩年鉄人と言われた、小橋

怪我が多く、ノア移籍後は、入退院を繰り返し、癌も克服しリングに返り咲いた

全日本プロレスでは、四天王の1人と言われた小橋

三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太

 

壮絶な潰し合いは、常に進化した戦いに変化する

今のプロレスファンが見ても、影響を受けるプロレスだろう

四天王プロレスは、プロレス史で語られるのは間違いない

 

90年代プロレス界を引っ張っていたのは

間違いなく全日本プロレス四天王である

 

四天王プロレス

四天王の道

 

四天王小橋と言われるまでになるには

壮絶な道があった

 

全日本プロレスには、怪物レスラージャンボ鶴田

最強外国人レスラースタンハンセンなどの強者がいた

 

三沢光晴、川田利明、田上明、の下の世代になる小橋建太は

三沢光晴達に追いつく為に、試練を乗り越えて行った

ジャンボ鶴田越えは、四天王時代の時代を作るためには
必要な事だが

その壁は高く容易に越えられるものではなかった。

 

小橋建太は、ジャンボ鶴田に育てられたと言ってもいい

ジャンボ鶴田VS小橋建太
画像出典元全日本プロレス

 

 

ジャンボ鶴田リングを去る

 

90年代に入ると、鶴田の病気が表面化し

リングから遠ざかるようになる。

四天王の1人田上をパートナーとして育て上げた鶴田は

その後、第一線で戦うことなく、リングを去る
その後
肝臓移植手術中に亡くなると言うショッキングな事が起きる

 

鶴田が、怪物、日本人最強と言われた

所以は、この怪物のままリングを降りた事もあると感じる

ファンの目には、怪物ジャンボのままの記憶が残り

この世を去った

 

その、ジャンボ鶴田に、叩きのめされた小橋は、鉄人と変化していく

田上から3冠を王座奪取すると

そこから、四天王の独断場が始まる

 

田上→小橋→三沢→川田→小橋→三沢と四天王で3冠王座を争う展開になる

秋山を加えた5強の全日本プロレスは

ファンの誰もが納得できる試合が毎回行われた。

 

その要素は、今のプロレスでは当たり前の

反則決着、リングアウトなどの不可解な決着ではなく

ピンフォールによる決着がほとんどであった

今の、プロレスの流れを作ったのは四天王である

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