小橋建太のプロレスイズム

90年代全日本プロレスを最盛期に導いた全日本プロレス四天王。
その全日本プロレス四天王の1人小橋建太。

小橋建太の歩んできた道は険しく厳しかった。
怪我や病気との戦いがプロレス人生の晩年つきまとったが絶対王者 完全王者と呼ばれた小橋建太。
小橋建太のプロレスイズムを注入されたレスラーは多く。

KENTA、金丸義信、潮崎豪は小橋建太の付き人をしながらプロレスを学んだ。

小橋建太
画像出典元新日本プロレス 日刊SPAの小橋建太さんトーク連載

小橋建太全日本3冠王者までの道のり

全日本プロレスは、ジャイアント馬場が作った団体
老舗の団体だ
今では、大きく新日本プロレスに溝をあけられているが両団体は、常にライバル団体であった。
小橋建太が最前線で出てきた全日本プロレスは、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、スタンハンセンなどがしのぎを削っていた。
全日本プロレスには力道山由来のベルトや歴史のあるチャンピオンベルトが存在した。
3本のチャンピオンベルトUNヘビー級、PWFヘビー、インターナショナルヘビー級。

インターナショナルヘビー級は、力道山が創設したベルト
UNヘビー級(ユナイテッドナショナル) アントニオ猪木など保持した事のあるベルト
PWFヘビーは全日本のシンボル王座として設立された
3つのベルトがそれぞれの戦いを経て時代の流れと共に、1人の王座を決めようと言う流れが起きてくる。
その統一されたベルトが現在の全日本プロレスの象徴3冠ヘビー級王座である。

当時怪物と言われた、ジャンボ鶴田、外国人エース不沈艦スタンハンセンそして天龍源一郎。
この強豪のなかに、小橋建太が入っていくのは試練の道である。
現状では、三沢光晴、川田利明も太刀打ち出来ない相手である。
小橋建太は不屈の精神で、この道を突破していくのである。

ジャンボ鶴田怪物への序章
日本人では初代3冠ヘビー級王者にジャンボ鶴田
天龍源一郎と3冠ヘビー級を保持
そして次の世代に引き継がれる3冠ヘビー級王者、三沢、川田、田上、小橋の順に3冠王座に輝いている。

小橋建太四天王の道

晩年鉄人と言われた、小橋建太。
怪我が多く、ノア移籍後は、入退院を繰り返し、癌も克服しリングに返り咲いた。
四天王プロレス
全日本プロレスでは、四天王の1人と言われた小橋

三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太
壮絶な潰し合いは、常に進化した戦いに変化する。
今のプロレスファンが見ても、影響を受けるプロレスだろう。
四天王プロレスは、プロレス史で語られるのは間違いない。

90年代プロレス界を引っ張っていたのは間違いなく全日本プロレス四天王である。
年齢的に若い小橋建太が、四天王として戦うまでには壮絶な試練があった。
全日本プロレスには、怪物レスラージャンボ鶴田
最強外国人レスラースタン・ハンセンなどの強者がいた。

三沢光晴、川田利明、田上明、の下の世代になる小橋建太は
三沢光晴達に追いつく為に、試練を乗り越えて行った。
ジャンボ鶴田越えは、四天王時代の時代を作るためには
必要な事。
その壁は高く容易に越えられるものではなかった。
小橋建太は、ジャンボ鶴田に育てられたと言ってもいい

ジャンボ鶴田
画像出典元全日本プロレス

ジャンボ鶴田リングを去る

90年代後半に入るとジャンボ鶴田の病気が表面化リングから遠ざかるようになる。
後に全日本プロレ四天王の1人田上明をパートナーとして育て上げたジャンボ鶴田
全日本プロレスを退団その後、第一線で戦うことなく、リングを去る。
肝臓移植手術中に亡くなると言うショッキングな事が起きる。

ジャンボ鶴田を完膚なきまで叩き潰すことなくジャンボ鶴田はリングを去った。
ジャンボ鶴田に、叩きのめされた小橋建太は、鉄人と変化していく。
田上明の保持する3冠ヘビー級王座に挑戦、3冠ヘビー級王座初戴冠。

田上→小橋→三沢→川田→小橋→三沢と四天王で3冠王座を争う展開になる
秋山を加えた5強の全日本プロレスは
ファンの誰もが納得できる試合が毎回行われた。

その要素は、今のプロレスでは当たり前の
反則決着、リングアウトなどの不可解な決着ではなく
ピンフォールによる決着。
現在のプロレスの流れを作ったのはジャイアント馬場と全日本プロレス四天王である。
小橋建太は怪我が多くそれでも欠場する事無く戦い続けていた。

プロレスリング・ノア時代

全日本プロレスを退団した、小橋建太は、三沢光晴率いるプロレスリング・ノアの選手となる。
壮絶な試合をしてきた小橋建太はプロレスリング・ノア入団後怪我、病気などで欠場を繰り返す。
癌で入院してもトレーニングをやめない小橋建太を三沢光晴が止めた。

復帰した試合では壮絶な輝きを放ちファンを魅了する小橋建太。
カムバック賞も受賞。
小橋建太の必殺技の剛腕ラリアットは今のオカダ・カズチカが使う、レインメーカーの原型
ラリアットになる。

プロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座防衛記録13は、杉浦貴が塗り替えるまで連続防衛記録であった。
小橋建太が防衛していた時期は、三沢光晴、田上明、秋山準、高山善廣などが最盛期の時代で連続防衛記録13は驚異的な強さで絶対王者と呼ばれた。
スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットからオカダ・カズチカの完成された決め技レインメイカー
破壊力のある剛腕ラリアットでプロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座獲得する小橋建太。

プロレス界で小橋建太人気は、激しい試合以上にファンを大事にする人柄の良さもあり
地方でもファンサービスを怠らなかった。

今のプロレス界で数多くの怪我人が出て
欠場している選手も沢山いる
四天王プロレスは激しく、厳しい戦いであったが
それを教訓にしてプロレスラーも、ファンも楽しめる試合が見たい。

四天王小橋建太の残したものは計り知れない物であるのは間違いない
小橋建太の引退試合には、プロレスリング・ノア以外の団体から、天龍源一郎、棚橋弘至、永田裕志、小島聡、鈴木みのる、佐々木健介、武藤敬司が参加小橋建太は武藤敬司、秋山準、佐々木健介と組んでKENTA、潮崎豪、金丸義信と対戦している。