ジャイアント馬場32文ドロップキック

ジャイアント馬場、伝説となったレスラー数多くのレスラーを排出
全日本プロレスを不動の団体へとした、ジャイアント馬場 得意技に16文キック
若き日に、32文ドロップキックを繰り出す。

200cmの身長から繰り出す技は全て日本人離れした技であった。

ジャイアント馬場
画像出典元ジャイアント馬場32文ロケット

アントニオ猪木の後継者とジャイアント馬場の後継者

ジャイアント馬場さんが全日本プロレスを旗揚げして
何かと、新日本プロレスアントニオ猪木、比べられていた。
テレビ中継も、新日本プロレス、テレ朝 全日本プロレス、日テレ、テレビとプロレスの深い関係の時代。
地方の人も、テレビを通じて、プロレスを楽しめた時代。

現在プロレス界を引っ張る新日本プロレス。新日本プロレスに溝を開けられた、全日本プロレス。
2大メジャー団体と言われた時代が懐かしい。

今では、大きな差が開いている、ジャイアント馬場とアントニオ猪木がいても
崩壊と再生を繰り返していた。全日本プロレスと新日本プロレス
ライバル団体の全日本プロレスと新日本プロレス
お互いに足の引っ張り合いを・・両団体は新たなスター選手を生み出し再生してきた。
2人がいなくなった両団体 格闘技ブームが起こりプロレスは衰退したと言われた。

理由は、プロレスラーが格闘技のリングに上がり連敗。中邑真輔が格闘技団体のリングに上がり、勝利プロレスはつぇーんだよと叫んだのはこれが理由。
新日本プロレスは、闘魂三銃士、第三世代、棚橋弘至と中邑真輔、今ではオカダ・カズチカ、内藤哲也と新日本プロレスはふたたび再生、アントニオ猪木の創設した新日本プロレスは令和になって日本ナンバーワンの団体となり世界へ発進している。
新日本プロレスマジソン・スクエア・ガーデンへ

新日本プロレスゴールデンタイム金曜8時に放送復活再びマディソン・スクエア・ガーデンへ


全日本プロレスはジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太
順調に世代交代を進め新日本プロレスを抑え最強の団体へとなった。
90年代の最高のプロレスは全日本プロレス四天王の時代とも言われた。
ジャイアント馬場の死去後団体は分裂の道を歩く事になる。
三沢光晴全日本プロレス退団からプロレスリング・ノアへ

2代目タイガー・マスクの仮面を捨てた三沢光晴のエルボー全日本プロレス退団からプロレスリング・ノアへ


全日本プロレスは分裂、三沢光晴は多くの全日本のレスラーと共にプロレスリング・ノアを設立した。
アントニオ猪木とジャイアント馬場の後継者やはり、今プロレスを盛り上げている選手全員という事になるであろう。


ジャイアント馬場とアントニオ猪木の継承者は?

当時のプロレスは、外国人と日本人対決がメイン保守的なイメージの全日本プロレス
攻撃的なイメージの新日本プロレスだったが

全日本は旗揚げ当初から、テレビ放送や、外国人などの招集ルートがあり順風満帆のスタート
新日本は、外国招集ルートもなく、独自路線を作るしかなく
国際プロレスとの日本人対決などで話題を作るしかなかった。
異種格闘技などで話題をさらう、猪木新日本プロレス
動じることなく、王道を進む、馬場全日本プロレスだった

2人が今の両団体を見たらどう思うのか?
今でも精力的に活動中のアントニオ猪木でも今の新日本のスタンスは、イメージしてなかっただろうし
故ジャイアント馬場も、今の全日本はイメージしてなかっただろう
しかし、今でも、ジャイアント馬場の遺伝子 アントニオ猪木の遺伝子はこのプロレス界にばらまかれ、成長している。
ジャイアント馬場が呼び起こしたプロレスオールスター開幕
全日本プロレス 王道とは?ジャイアント馬場 が作り上げたプロレス。

最後の王道 秋山準が全日本プロレス退団

秋山準が全日本プロレス退団
DDTの所属選手となった。
秋山準は全日本プロレスから不要とされた。

全日本プロレスの選んだ道は、ジャイアント馬場の王道継承ではなく
全日本プロレスとしての新たなる道。
秋山準はDDTでKO-D王者となり、DDTで全日本プロレスで継承した王道を本道に変えて
業界ナンバー1を目指す。
DDT・秋山準51歳、武藤敬司58歳GHCヘビー級王者に続いてKO―D無差別級王座を初戴冠

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