巌流島の戦いアントニオ猪木VSマサ・斎藤

現在WWEやプロレスリング・ノアで無観客試合が開催
新型コロナウィルスで、密接が禁止されている。
3密「密閉」「密集」「密接」

1987.10.4巌流島 アントニオ猪木vsマサ斎藤行われた無観客試合
まさにに元祖無観客試合となる。

時代はアントニオ猪木の時代から、長州力率いる維新軍団が勢いを増してきた。
事業も経営破綻、離婚もそんな時期のアントニオ猪木

ジャイアント馬場やアントニオ猪木の時代。そこから新時代に突入する狭間でもある時期。
しかしアントニオ猪木はそうやすやすと、時代を渡す事はしなかった。

多くの話題を振りまいたアントニオ猪木。その中の無観客試合巌流島決戦は、当時話題を振りまく事になる。
武蔵と小次郎の戦い。ひらめいたアントニオ猪木は、巌流島の戦いを提案。
そこにマサ・斎藤が名乗りを上げた。
試合は無観客試合、殺し合いをイメージさせた戦い。
試合2日前に妻とも離婚を済ませたアントニオ猪木。身辺整理をして巌流島に向かった。

巌流島の戦いをアントニオ猪木は語る

アントニオ猪木は当時何故巌流島の戦いをやったのか?

「あれは時代の変わり目だからできたこと。長州力の時代へと周りが流れていく中で、そうはいかねえぞと。客にこびるプロレスはしねえ、見たくないヤツは見るなと。見たくないヤツは見るわけないんだけどさ、フフフッ…。世間に向けたオレなりの、そういうはっきりとしたメッセージだったんだ」 実際、テレビ中継された巌流島決戦は2時間を超える死闘となり、伝説として現在まで語り継がれる。燃える闘魂からの明確なメッセージがファンに伝わったからだが、苦境を乗り越えるためにもこの「メッセージの発信」こそが最も必要なことだという。猪木氏は自身が創設した新日プロにあえてこう投げかける

身辺整理をしたアントニオ猪木の戦いはどうだったのか?

試合結果はアントニオ猪木裸締め

時間無制限・ノールールマッチ。
試合時間は2時間を超す死闘であった。
最後は、アントニオ猪木の裸締めで決まった。
放送もなく、ファンは雑誌で確認するしかなかった。

明るい会場から、暗闇になり。
かがり火がマサ・斎藤に直撃そんな写真が提供された。
そんな時代を超えた無観客試合、凡戦とも言われた戦い。
それは戦った2人しか分からない世界である事から、ファンを無視した戦い。
アントニオ猪木は言う。
見たいやつだけ見ろと。

令和の時代この無観客試合がフューチャーされた。
アントニオ猪木vsマサ・斎藤無観客試合、無制限・ノールールマッチ巌流島の戦い。

長州力とマサ斎藤

長州力とマサ・斎藤維新軍結成

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