ジャンボ鶴田と長州力が同じリングに立つ

現在Twitterの投稿で人気を博す長州力
そのツイートはほのぼのとさせる文面が並ぶ。

現在プロレスラーを引退した長州力だがその歴史は激しく、厳しいものであった。
信念はど真ん中を歩く。
総合格闘技がブームとなり、プロレスが冬の時代になった。
だが長州力は、プロレスど真ん中を歩いてきた。

ジャンボ鶴田は、49歳の若さで亡くなった怪物と言われたプロレスラー。
今でも根強いジャンボ鶴田最強説。
元ジャンボ鶴田と長州力のタッグパートナー谷津が語るジャンボ鶴田。

プロレスラーとして、歩いた歴史は正に王道。エリートレスラーと言われたジャンボ鶴田。
だが時には感情をむき出し
時には大きく笑い、豪快で今でも最強と言われる怪物ジャンボ鶴田。
オーの大合唱は、今でも多くのファンの胸に刻まれている。

その交わる事のなかったジャンボ鶴田と長州力。同じリングでシングル戦を行った伝説の試合である。
完全決着戦と言われたジャンボ鶴田vs長州力。1985年(昭和60年)11月大阪城ホール決戦。
長州力は、ある意味ジャンボ鶴田のスマートなスタイルに嫌悪感を示していた。
感情むき出しのスタイルを好んだ長州力。

全日本プロレスのリングに上がってジャンボ鶴田を評価する事無く
天龍源一郎との戦いを好んだ長州力。

革命戦士と呼ばれた長州力。
エリートレスラーと言われたジャンボ鶴田。
この2人が全日本プロレスのリングでシングルで戦う事になる。

ノンタイトル戦で行われたジャンボ鶴田vs長州力
全日本プロレスのジャンボ鶴田VSジャパンプロレスの長州力エース対決となった。

リングアウトが出来ない完全決着のルールになる。

エース対決と銘打たれたジャンボ鶴田VS長州力
ファンはどちらが強いのか?それを決める重要な1戦である。

人気は圧倒的に長州力。
長州力がジャンボ鶴田を倒して革命戦士が目標が達成する。
そんな長州力ファンが、ジャンボ鶴田を認めざる得なくなる試合である。

ジャンボ鶴田と長州力。全く違う道を歩いてきたレスラーその2人が合いまみれる事になった経過は?
ジャンボ鶴田と長州力の歩みの違いが、今で言うイデオロギー対決となった試合である。

新日本プロレスで革命戦士となった長州力

長州力は新日本プロレスでデビュー、先にスター選手となった藤波辰巳(辰爾)に噛みついた。
アントニオ猪木の時期後継者として、誰もが認める藤波辰巳。

入場時格下のレスラーが前を歩く。藤波辰巳の前を歩くのを嫌った、長州力は藤波辰巳に噛みついた。
もめる藤波辰巳と長州力の一騎打ちが必然の様に決まっていく。

これは後に、アントニオ猪木が仕組んだもの?
共に維持の張り合を見せた両者。長州力は、藤波辰巳の保持するWWFインターナショナルのベルトを奪って見せた。

WWFインターナショナル
画像出典元
新日本プロレス

マサ・斎藤と抱き合って喜ぶ長州力が印象的であった。
長州力を支えたマサ・斎藤

長州力の参謀 マサ斉藤革命戦士長州力を支えた男


長州力は、藤波辰巳と肩を並べた。二分する藤波辰巳信者と、長州力信者。
長州力は、革命戦士と呼ばれ維新軍を結成する。

今ならロスインゴベルナブレス・デ・ハポンに勝るとも劣らない位の人気。長州力の維新軍。

当時のレスラーは既定路線を崩すことはなかった。
格上の存在に反旗をひるがえす事はなかった。
そこにくさびを打ち込んだ長州力は、一気にスター選手となる。
今のプロレスに見る、実力で反旗をひるがえすスタイルを作ったのは長州力。

エリートレスラーと呼ばれたジャンボ鶴田

全日本プロレスへ就職します。会見でコメントしたジャンボ鶴田。
ジャンボ鶴田はミュンヘンオリンピックアマレス代表となった逸材。
197㎝という巨体は、まさに体も実績もエリートである。

師匠のジャイアント馬場は、ジャンボ鶴田と命名した。

自らの時期後継者として、多くの経験を積ませた。ジャイアント馬場
20代で世界に挑戦していったジャンボ鶴田。

全日本プロレス全体で、団体でジャンボ鶴田を後押した。
若きジャンボ鶴田は、自他共に認めるジャイアント馬場の後継者であった。

長州力が全日本プロレスのリングに上がるまで、天龍源一郎は全日本プロレス三番手。
第三の男に甘んじていた天龍源一郎。
ジャンボ鶴田を支える姿勢を見せていたように思える。
だがそんなジャンボ鶴田。世界王者に善戦はするが、世界のタイトル獲得には至らなかった。

ジャンボ鶴田
画像出典元
全日本プロレス

全日本プロレスは、インターナショナルと言う力道山ゆかりのベルトを保持していた。
ジャンボ鶴田は、世界のベルトに挑戦していた。NWA世界、AWA世界、WWF世界(現在のWWE)世界のベルト。
日本人で、当時世界一と呼ばれたプロレスのベルト。
NWAヘビー級のベルトを獲得したのは、ジャイアント馬場だけであった。

ジャンボ鶴田を世界のジャンボ鶴田にするために、どうしても世界のベルトが必要であった。

NWAヘビー級を全盛期に保持したジャイアント馬場。
ジャンボ鶴田も、世界のベルトを保持してこそ、全日本プロレスのエースの称号が得られる、そんな時代であった。
ジャンボ鶴田は、しゃがむに挑戦するもあと一歩でベルト奪取には至らず。

それもそのはずで、王者達は、真っ向勝負してくれない。
百戦錬磨の、防衛技術に長けてるものばかり。勝負することはなく、土壇場で場外や反則で逃げる防衛術。
ジャンボ鶴田にはベルトが来ることはなかった。
それくらい王者になる事は難しい時代。

この経験がジャンボ鶴田が、晩年怪物と呼ばれる経験をもたらす。

AWA世界ヘビー級王者ジャンボ鶴田誕生

ジャンボ鶴田が、遂に世界のベルトを自らの腰に巻く事になる。
1984年ニック・ボックウィンクルから王座を奪う。

長州力率いるジャパンプロレスが全日本プロレスへ殴り込みをかける1年前。
ルー・テーズ直伝のバックドロップ、元祖バックドロップ
へそ投げ式と呼ばれるバックドロップをマスターした、ジャンボ鶴田。

ニック・ボックウィンクルからベルトを奪って見せた。
ジャンボ鶴田AWA世界ヘビー級日本人で初めて戴冠

日本人抗争幕開け 怪物誕生 ジャンボ鶴田 善戦マンから世界王者へ。

時代は、ジャイアント馬場とアントニオ猪木から、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、藤波辰巳(辰爾)長州力の時代へ・・そう思われた。

世間では頭文字をとって鶴藤長天(カクトウチョウテン)と呼ばれた。

鶴藤長天
画像出典元
全日本プロレス
新日本プロレス
ジャパンプロレス

ジャイアント馬場、アントニオ猪木の後継者。プロレス界を引っ張ると言われた4人。
だが4人はそれぞれの団体の戦いだけで。交わる事は考えられない時代であった。

鶴藤長天のなかで頭一つ抜け出したと言われたジャンボ鶴田。だが人気は長州力が一番であった。
そのジャンボ鶴田と長州力が、戦う瞬間が来た。

大阪城ホール ジャンボ鶴田VS長州力

1985年長州力は、新日本プロレスを退団。
全日本プロレスへ参戦へ時代は動いた。

長州力の参戦で最初に噛みついた天龍源一郎。
天龍源一郎は、感情むき出しで長州力率いるジャパンプロレスと戦う。

ジャンボ鶴田は、格上の雰囲気を出し、長州力我関せず。大物の空気を出した。
ファンは長州力と天龍源一郎の戦いに釘付けとなっていく。

ジャンボ鶴田は、蚊帳の外となり、マイペースな試合をしていた。
長州力もジャンボ鶴田より天龍源一郎が一番。ジャンボ鶴田を格下扱いにした。

そこで対戦が決まったジャンボ鶴田VS長州力のシングルマッチ。
長州力が全日本プロレスを制圧。ジャパンプロレス信者信じた。

ジャンボ鶴田最強を信じる全日本プロレスファン。
長州力のイデオロギーこそが本物であると信じる者。
戦いを不機嫌に見守る天龍源一郎も印象的であった。

だが試合が始まると、明らかにジャンボ鶴田のペースで試合が進む。
ジャンボ鶴田の周りを長州力が回る。
ジャンボ鶴田が取った作戦は、絵的に自らが強く見える作戦であった。
どっしりと構えるジャンボ鶴田の周りを長州力が回る。

これがジャンボ鶴田の作戦だったと言うから驚きである。

ジャンボ鶴田は無尽のスタミナを誇り、世界の百戦錬磨と戦いの引き出しを開けた。
勝負は、決着ではなく60分戦う事に頭をおいた戦法であった。ジャンボ鶴田。

長州力の挑発に乗らず、ジャンボ鶴田がジャンボ鶴田のペースで試合を進めた。
狙い通りの60分フルタイムドローとなった。

ボストンクラブで長州力を締め上げたところでゴングが鳴る。
ジャンボ鶴田はまだまだ元気いっぱいで手を上げる。
長州力は、寝そべったままで青色吐息の印象が見られた。
この差は明らかであった。

ジャンボ鶴田のスタミナ、世界王者と戦ってきた百戦錬磨の経験が長州力を圧倒した。
試合は白熱の好試合でもなく、見た目は凡戦であろう。

ジャンボ鶴田と長州力しか分からない力関係、そこには存在した。
ジャンボ鶴田は後に、怪物と呼ばれる事になる。
ジャンボ鶴田と長州力のシングルマッチはこの1回しか実現していない。

ジャンボ鶴田が最盛期に見せた日本人対決である。

長州力が全日本プロレスを去った後は、天龍源一郎がジャンボ鶴田の首を狙う。
天龍源一郎が、全日本プロレスを去った後は、三沢光晴、川田利明がジャンボ鶴田の首を狙った。
保守的なジャンボ鶴田が、どれだけ多くの選手からターゲットにされたか。
それを叩きのめしてきたジャンボ鶴田。

これを考えれば、最強と呼ばれたジャンボ鶴田の強さが分かるであろう。
天龍源一郎は全日本プロレスを退団、多くの選手と戦いミスタープロレスと呼ばれた。
オカダ・カズチカの介錯で引退。

長州力は再び新日本プロレスへ戻り、アントニオ猪木からピンフォールを奪う。
藤波辰巳は新日本プロレス社長から、いまだ現役を継続(2021年5月)

長州力が去った全日本プロレス。鶴龍戦争が勃発。
ジャンボ鶴田を本気にさせた天龍源一郎

ジャンボ鶴田vs長州力の貴重な試合であった。
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